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マタイの福音書17:4 ~ 8

4 すると、ペテロが口出ししてイエスに言った。「先生。私たちがここにいることは、すばらしいことです。もし、およろしければ、私が、ここに三つの幕屋を造ります。あなたのために一つ、モーセのために一つ、エリヤのために一つ。」

5 彼がまだ話している間に、見よ、光り輝く雲がその人々を包み、そして、雲の中から、「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」という声がした。

6 弟子たちは、この声を聞くと、ひれ伏して非常にこわがった。

7 すると、イエスが来られて、彼らに手をれ、「起きなさい。こわがることはない」と言われた。

8 それで、彼らが目を上げて見ると、だれもいなくて、ただイエスおひとりだけであった。

ペテロの反応

3 つの仮庵

イエスの変貌を目撃したペテロは、仮庵かりいおを3 つ建てることを提案した(幕屋と訳すのは、誤訳ごやくである)。なぜ彼は、そのような提案をしたのか。一般的に異邦人いほうじんの学者は、次のように説明する。 彼は気が動転して、自分が何を言っているのか分からなかった。 彼は、イエスをモーセとエリヤのレベルに引き下げている。あるいは、モーセとエリヤをイエスのレベルに引き上げている。 従って、ペテロの判断は間違っている。
この箇所をユダヤ的視点から解説してみよう。(1)レビ記23 章に記されたイスラエルの祭りの中で、仮庵の祭りは、メシア的王国を予表するものとなっている(ゼカ14:16 ~18 参照)。イエスの栄光の姿を見た時、ペテロはメシア的王国がすでに到来したと解釈し、仮庵の祭りを祝おうとした。(2)旧約聖書の預言解釈からすると、彼の反応は決して間違ったものではない。彼は、自分が持っていた聖書理解に基づいて、3 つの仮庵を造ることを提案したのである。(3)しかし彼は、メシア的王国が到来する前に、メシアの受難の成就があるということを理解していなかった。つまり、「仮庵の祭り」(メシア的王国の象徴)の前に、「過越の祭り」(メシアの受難の象徴)があるということを忘れていたのである。モーセとエリヤがイエスと話し合っていたテーマは、まさに「メシアの受難(十字架の出来事)」そのものであった。

天からの声

その時、天からの声が聞こえてきた。これは、イエスの洗礼の時に続いて2 度目のことである。「これは、わたしの愛する子、わたしはこれを喜ぶ。彼の言うことを聞きなさい」。神は、かつては律法を通し、預言者たちを通してお語りになったが、この終わりの時代には、御子イエスを通して語られた(ヘブ1:1 ~2)。それゆえ、イエスの弟子たちは、御子イエスのことばに耳を傾けなければならない。
天からの声を聞いた弟子たちは、恐れ、ひれ伏した。イエスは彼らに手をれ、「起きなさい。こわがることはない」と言われた。イエスの姿は元の人間の姿に戻っていた。受肉の際に栄光を隠された主イエスは、変貌の山の上で、再びその栄光を隠されたのである。私たちが信じている主イエスは、私たちを愛するあまり、ご自身の栄光を2 度もかくしてくださった方である。主イエスは、私たちのために十字架の上で死んでくださった。そして、私たちのために再び戻ってきてくださる。私たちが信頼するのは、主イエスだけである。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。私のために御子イエスが栄光を二度も隠されたことを知りました。御子を私たちのために地上に送ってくださったあなたの御名をたたえます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

哀歌1~2、詩篇115 ~ 116