1 それから六日たって、イエスは、ペテロとヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に導いて行かれた。
2 そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった。
3 しかも、モーセとエリヤが現れてイエスと話し合っているではないか。
「ここに立っている人々の中には、人の子が御国とともに来るのを見るまでは、決して死を味わわない人々がいます」(マタ16:28)。この約束が与えられてから6 日経って、イエスは3 人の弟子たち(ペテロ、ヤコブ、ヨハネ)を連れて高い山に上られた。この山に関しては、タボル山説とヘルモン山説があるが、タボル山頂には要塞と偶像の宮があったので、恐らくヘルモン山であろう。変貌山の出来事は、マタイ16:28 の預言の成就である。
(1)祈りの中で、イエスの御姿が栄光に輝き始めた。この栄光の輝き(シャカイナ・グローリー)は、イエスがメシア的王国(千年王国)でお持ちになる栄光そのものである。(2)出エジプト32 ~34 章には、モーセの顔が輝いたという記事がある。モーセは、シャカイナ・グローリーを反射させただけで、内側から光が輝いたわけではない。イエスの場合は、シャカイナ・グローリーが内側から輝き出た。それまでは肉体という幕屋によってさえぎられていたシャカイナ・グローリーが、肉体を通り抜けて輝き出たのである。(3)この出来事は、イエスのメシア性を証明している。人からは拒否されたイエスが、天の父からはメシアであるとの保証を受けたのである。さらにこれは、やがて実現するメシア的王国(千年王国)の予表でもある(2 ペテ1:16 ~18)。
(1)モーセとエリヤが現れて、「イエスがエルサレムで遂げようとしておられるご最期について」(ルカ9:31)、イエスと話し合っていた。「ご最期」と訳された言葉は、原文では「出エジプト」という意味である。イエスの十字架は、人間性の制約からイエスを解放するものとなる。と同時に、信者を罪から解放する力ともなる。そういう意味で、十字架の死は「出エジプト(解放の出来事)」という言葉で表現されるのである。(2)この光景は、イエスが旧約聖書(律法と預言者)の成就として来られたメシアであることを表している。(3)さらにこれは、死後のいのちの保証ともなっている。モーセは死から復活する聖徒の代表であり、エリヤは死なずして天にあげられる(携挙される)聖徒の代表である。さらに言うなら、3 人の弟子たちは、肉体を持ったままで千年王国に入る聖徒たちの予表である。
死後のいのちがあることを確信する人は幸いである。やがてシャカイナ・グローリーに包まれて生きるようになることを知っている人は、幸いである。今、栄光に満ち満ちた三位一体の神を礼拝しようではないか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。私に永遠のいのちの保証を与えてくださり感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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