4 神は『あなたの父と母を敬え』、また『父や母をののしる者は死刑に処せられる』と言われたのです。
5 それなのに、あなたがたは、『だれでも、父や母に向かって、私からあなたのために差し上げられる物は、供え物になりましたと言う者は、
6 その物をもって父や母を尊んではならない』と言っています。こうしてあなたがたは、自分たちの言い伝えのために、神のことばを無にしてしまいました。
7 偽善者たち。イザヤはあなたがたについて預言しているが、まさにそのとおりです。
8 『 この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。
9 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』」
パリサイ人や律法学者たちは、イエスとその弟子たちが、食前の清めの洗いをしていないことを責めた。これは、口伝律法(ミシュナ)に基づく追求である。きょうの箇所は、それに対するイエスの回答である。イエスは彼らの欺瞞を見抜いておられた。「なぜ、あなたがたも、自分たちの言い伝えのために神の戒めを犯すのですか」。イエスの論点は、「あなたがたは、口伝律法を重視しているが、モーセの律法は破っている。口伝律法とモーセの律法とどちらが大切なのか」ということである。モーセの律法に違反している例として、イエスは「コルバン規定」を挙げ、パリサイ人たちの欺瞞を追及された。
(1)十戒の第五戒は、「あなたの父と母を敬え。あなたの神、主が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである」と命じている。両親を敬うことの中には、当然、物質的な必要を満たすことも含まれている。(2)ところで、パリサイ人の中には、パリサイ派に改宗したユダヤ人たちが多くいたが、その両親は改宗しないままでいるのが普通であった。その場合、パリサイ人となった息子は、パリサイ派でない両親に物質的援助を与えるのを嫌がった。(3)そのような背景のもとで、息子としての義務を回避するために考え出されたのが「コルバン規定」である。コルバンとは、「神のための供え物になった」という意味である。いったん「コルバン」と宣言された財は、神殿に捧げても、自分のために用いてもよかったのであるが、他人に譲ることはできないとされた。たとえ両親であっても、その財を与えることは口伝律法違反になったのである。このようにして、パリサイ人たちは、合法的に両親に対する責任逃れを行っていた。(4)イエスはイザヤ29:13 を引用し、パリサイ人たちの心は神から遠く離れている、従って、彼らの礼拝は神に受け入れられていないと宣言された。なんと悲しいことであろうか。
律法主義とは、外面を整えることにのみ関心を向け、心の中を省みることを忘れている状態である。現代に生きる私たちはどうか。「長老たちの言い伝え(人間の教え)」を重視するあまり、聖書が教える真実な心、愛、信仰などを犠牲にしていることはないだろうか。聖書研究をおろそかにするなら、人間の教えが幅を効かせることになる。「聖書研究から日本の霊的覚醒(目覚め)が」というのは、本当である。真実な礼拝を捧げる信仰者とならせていただこうではないか。
きょうの祈り
天の父よ。クリスチャン生活の目標は、真実な心、愛、信仰などです。どうか私を、形式主義から解放してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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