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マタイの福音書13:47 ~ 52

47 また、天の御国は、海におろしてあらゆる種類の魚を集める地引き網のようなものです。

48 網がいっぱいになると岸に引き上げ、すわり込んで、良いものは器に入れ、悪いものは捨てるのです。

49 この世の終わりにもそのようになります。御使いたちが来て、正しい者の中から悪い者をえり分け、

50 火の燃える炉に投げ込みます。彼らはそこで泣いて歯ぎしりするのです。

51 あなたがたは、これらのことがみなわかりましたか。」彼らは「はい」とイエスに言った。

52 そこで、イエスは言われた。「だから、天の御国の弟子となった学者はみな、自分の倉から新しい物でも古い物でも取り出す一家の主人のようなものです。」

マタイの福音書13 章のたとえ話のまとめ

9 つのたとえ

マタイ13 章のたとえ話が、それぞれ何を教えていたかをまとめてみよう。この作業を通して、「奥義としての王国」に関するイエスの教えの全体像をつかむことができる。イエスは合計9 つのたとえ話を語っておられるが、2 番目のたとえ話はマタイではなくマルコ4:26 ~29 に出てくるものなので、その点を覚えておこう。
(1)「種蒔きのたとえ」。このたとえは最も基本的なものだが、「奥義としての王国」の時代を理解するためには、最も重要なものでもある。このたとえは、「福音の種は継続して蒔かれ続けるが、それに対する人々の反応はさまざまである」ということを教えている。
(2)「種の生長」(マコ4:26 ~29)。福音の種には、いのちが内蔵されている。それゆえ、その種は自然に育っていく。
(3)「毒麦のたとえ」。神は良い種を蒔かれるが、敵である悪魔はそれに対抗して悪い種を蒔く。良い麦と毒麦とは、天の御国の終わるまで並行して育つが、収穫の時には両者の選別が行われる。
(4)「からし種のたとえ」。天の御国は外面的には大いに拡大するが、その中にサタンや悪霊の影響がとどまる。
(5)「パン種のたとえ」。パン種とは、誤った教理のことである。キリスト教界に異端の教えが入り込み、悪影響を与えるようになるというのがこのたとえが教えている内容である。
(6)「宝のたとえ」。宝はユダヤ人の象徴である。異端の教えによって教会は悪影響を受けるが、それにもかかわらず神は、ユダヤ人の中から救われる者を起こされる。
(7)「真珠のたとえ」。真珠は、異邦人の象徴である。神は、異邦人の中からも救われる者を起こされる。
(8)「地引き網のたとえ」。終わりの時に、神の民とそうでない者とがえり分けられ、神の民はメシア的王国に入れられる。
(9)「天の御国の弟子のたとえ」。イエスの弟子たちは、新しい真理と古い真理の両方を、自由自在に取り出すことができるようになる。

これら9 つのたとえは、今の教会時代にそのまま当てはまるものである。神は歴史の流れをすべて支配しておられる。神の力強い御手の中で安らごうではないか。

きょうの祈り

天の父なる神様。マタイ13章のたとえ話を通して、今がどのような時代であるかを学ぶことができました。また、「種蒔きのたとえ」が最も基本的なものだということも分かりました。人々の反応がどのようなものであっても、福音の種を蒔き続けます。どうか求道者に出会わせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン

年間聖書通読

ヨブ記7〜9、詩篇103 ~ 104