1 その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。
2 すると、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群衆はみな浜に立っていた。
3 イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。
13 章に入ると、途端にたとえ話が増える。その内容は、「天の御国」に関するものである(「天の御国」と「神の国」は同じ意味)。ここで、「神の国」の5 つの側面を押さえておこう。(1)普遍的で永遠の王国。これは、被造世界に対する神の支配を表している。何ごとも、神の許しなしに起こることはない。(2)霊的な王国。これは、信者の心の中にある神の支配を表している。この中には、アダム以来のすべての信者(聖霊によって新生した者)が含まれている。(3)神政政治の王国。これは、イスラエルに対する神の支配を表している。モーセからサムエルまでが仲介者を通しての統治であり、ダビデからゼデキヤまでが王による直接統治である。(4)メシア的王国(千年王国)。バプテスマのヨハネもイエスも、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(マタ3:2、4:17)と宣べ伝えた。この「天の御国」とは、旧約聖書で預言されていた「メシア的王国」のことである。旧約聖書の預言者たちは、王国が崩壊していく過程で、新しい王国(メシア的王国)の出現を預言していた。メシア的王国は、旧約聖書の預言の主要なテーマである。もしユダヤ人たちがイエスを受け入れていたなら、2 千年前にメシア的王国が地上に実現していたのである。その場合でも、イエスの十字架の死は当然起こっていた。
もしユダヤ人たちがイエスを信じていたなら、神の国のプログラムは次のようになっていたはずである。① ユダヤ人たちはイエスをイスラエルの王として受け入れる。② ローマはそれを政治的反逆と判断し、イエスを十字架刑に処す。③ イエスは三日目に甦る。④ 復活のイエスは、ローマ帝国を退け、エルサレムを首都としてメシア的王国を打ち立てる。しかし、このシナリオは実現しなかった。12 章で学んだように、ユダヤ人たちはイエスを拒否し、「赦されない罪」を犯したからである。それ以降、神の国のプログラムが大きく変更され、「奥義としての王国」が啓示される時代に入った。「奥義としての王国」は、「神の国」の5 番目の側面である(その内容については、次回学ぶ)。
イエスがたとえ話でしか教えなくなったのは、「奥義としての王国」の時代に突入したからである。神は完璧な計画をもって人類救済計画を推進しておられる。神の許しがなければ、何一つ起こりえないことを覚え、勇気をいただこう。
きょうの祈り
天の父よ。あなたのお許しがなければ、何一つ起こり得ないことを感謝します。あなたにのみ信頼を置きます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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