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マタイの福音書13:1 ~ 3

1 その日、イエスは家を出て、湖のほとりにすわっておられた。

2 すると、大ぜいの群衆がみもとに集まったので、イエスは舟に移って腰をおろされた。それで群衆はみな浜に立っていた。

3 イエスは多くのことを、彼らにたとえで話して聞かされた。「種を蒔く人が種蒔きに出かけた。

たとえ話を採用するイエス(2)

天の御国のたとえ

13 章に入ると、途端とたんにたとえ話が増える。その内容は、「天の御国」に関するものである(「天の御国」と「神の国」は同じ意味)。ここで、「神の国」の5 つの側面を押さえておこう。(1)普遍的ふへんてきで永遠の王国。これは、被造世界に対する神の支配を表している。何ごとも、神の許しなしに起こることはない。(2)霊的な王国。これは、信者の心の中にある神の支配を表している。この中には、アダム以来のすべての信者(聖霊によって新生した者)が含まれている。(3)神政政治の王国。これは、イスラエルに対する神の支配を表している。モーセからサムエルまでが仲介者を通しての統治であり、ダビデからゼデキヤまでが王による直接統治である。(4)メシア的王国(千年王国)。バプテスマのヨハネもイエスも、「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」(マタ3:2、4:17)とべ伝えた。この「天の御国」とは、旧約聖書で預言されていた「メシア的王国」のことである。旧約聖書の預言者たちは、王国が崩壊ほうかいしていく過程で、新しい王国(メシア的王国)の出現を預言していた。メシア的王国は、旧約聖書の預言の主要なテーマである。もしユダヤ人たちがイエスを受け入れていたなら、2 千年前にメシア的王国が地上に実現していたのである。その場合でも、イエスの十字架の死は当然起こっていた。

もしユダヤ人たちが信じていたら

もしユダヤ人たちがイエスを信じていたなら、神の国のプログラムは次のようになっていたはずである。 ユダヤ人たちはイエスをイスラエルの王として受け入れる。 ローマはそれを政治的反逆と判断し、イエスを十字架刑に処す。 イエスは三日目によみがえる。 復活のイエスは、ローマ帝国を退け、エルサレムを首都としてメシア的王国を打ち立てる。しかし、このシナリオは実現しなかった。12 章で学んだように、ユダヤ人たちはイエスを拒否し、「赦されない罪」を犯したからである。それ以降、神の国のプログラムが大きく変更され、「奥義としての王国」が啓示される時代に入った。「奥義としての王国」は、「神の国」の5 番目の側面である(その内容については、次回学ぶ)。
イエスがたとえ話でしか教えなくなったのは、「奥義としての王国」の時代に突入したからである。神は完璧かんぺきな計画をもって人類救済計画を推進しておられる。神の許しがなければ、何一つ起こりえないことを覚え、勇気をいただこう。

きょうの祈り

天の父よ。あなたのお許しがなければ、何一つ起こり得ないことを感謝します。あなたにのみ信頼を置きます。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ゼカリヤ5~6、テモテへの手紙 第一6