30 わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です。
31 だから、わたしはあなたがたに言います。人はどんな罪も冒涜も赦していただけます。しかし、御霊に逆らう冒涜は赦されません。
32 また、人の子に逆らうことばを口にする者でも、赦されます。しかし、聖霊に逆らうことを言う者は、だれであっても、この世であろうと次に来る世であろうと、赦されません。
33 木が良ければ、その実も良いとし、木が悪ければその実も悪いとしなさい。木のよしあしはその実によって知られるからです。
34 まむしのすえたち。おまえたち悪い者に、どうして良いことが言えましょう。心に満ちていることを口が話すのです。
35 良い人は、良い倉から良い物を取り出し、悪い人は、悪い倉から悪い物を取り出すものです。
36 わたしはあなたがたに、こう言いましょう。人はその口にするあらゆるむだなことばについて、さばきの日には言い開きをしなければなりません。
37 あなたが正しいとされるのは、あなたのことばによるのであり、罪に定められるのも、あなたのことばによるのです。」
イエスは、迷っている者たちに警告を発した。「わたしの味方でない者はわたしに逆らう者であり、わたしとともに集めない者は散らす者です」。これは、イエスと神の国に関しては、中立の立場などあり得ないという意味である。中立であろうとするなら、結局はイエスに逆らうことになる。
次に出てくるのが、かの有名な「赦されない罪」である。「私は赦されない罪を犯したのではないか」という質問を受けることがある。ここで、その質問に答えたいと思う。どの聖書箇所でも、文脈の中で解釈することが重要だが、この箇所は特にそうである。(1)「赦されない罪」とは、悪霊につかれているという理由で、イエスのメシア性を拒否した罪である。この罪は、個人的罪ではなく、当時のイスラエルが犯した民族的罪、国家的罪である。従って、この罪は、今日の私たちが犯せるものではない。クリスチャンになってから犯す罪は、どんな罪であっても、それを告白することによって赦される。(2)「赦されない罪」は、イエスが地上生涯を送っていた時代のイスラエルだけが犯すことのできた罪であって、後の時代のイスラエル(ユダヤ人)に適用されるべきものではない(38 節以降に、「今の時代の人々」という表現が何度も出てくる)。「ユダヤ人はイエスを殺した民族である」という理由で、反ユダヤ主義的行動を取るのは間違っている。(3)この罪は、イスラエル以外の民族が犯せる罪ではない。従って、異邦人である私たちに適用されることはない。
イスラエルの不信仰は、神の裁きを招いた。(1)この罪によって、イスラエルに提供されていた「天の御国」は彼らから取り去られ、将来の信仰的なイスラエルのために取っておかれることになった。(2)「天の御国」が再度提供されるのは、患難時代に入ってからのことである(マタ24 ~25 章参照)。患難時代のイスラエルは、メシアに対する信仰を持つようになる。(3)不信仰のゆえに、当時のイスラエルに物理的な罰が下ることになった。それが、40 年後(紀元70 年)に起こるエルサレムの町と神殿の崩壊である。
この箇所から教訓を学ぼう。今の時代を生きる私たちにとって、「赦されない罪」は存在しない。クリスチャンになってから犯す個人的罪は、父なる神に対して告白することによって赦される。神は、ご自身の子どもたちのために、常に立ち返りの道を用意しておられる。父なる神は、愛と恵みに富んだお方である。
きょうの祈り
イスラエルの神よ。どのような罪でも赦されることを感謝します。あなたの民イスラエルをお救いください。天の御国が到来しますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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ハバクク書1~3、詩篇95 ~ 96
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