サポートする

マタイの福音書12:22 ~ 29

22 そのとき、悪霊につかれて、目も見えず、口もきけない人が連れて来られた。イエスが彼をいやされたので、その人はものを言い、目も見えるようになった。

23 群衆はみな驚いて言った。「この人は、ダビデの子なのだろうか。」

24 これを聞いたパリサイ人は言った。「この人は、ただ悪霊どものかしらベルゼブルの力で、悪霊どもを追い出しているだけだ。」

25 イエスは彼らの思いを知ってこう言われた。「どんな国でも、内輪もめして争えば荒れすたれ、どんな町でも家でも、内輪もめして争えば立ち行きません。

26 もし、サタンがサタンを追い出していて仲間割れしたのだったら、どうしてその国は立ち行くでしょう。

27 また、もしわたしがベルゼブルによって悪霊どもを追い出しているのなら、あなたがたの子らはだれによって追い出すのですか。だから、あなたがたの子らが、あなたがたをさばく人となるのです。

28 しかし、わたしが神の御霊によって悪霊どもを追い出しているのなら、もう神の国はあなたがたのところに来ているのです。

29 強い人の家に入って家財を奪い取ろうとするなら、まずその人を縛ってしまわないで、どうしてそのようなことができましょうか。そのようにして初めて、その家を略奪することもできるのです。

ベルゼブル論争(2)

イエスの反論

前回の箇所では、パリサイ人たちがイエスのメシア性を拒否した。その理由は、「イエスは悪霊のかしらベルゼブルにつかれている」というものであった。彼らの思いを知ったイエスは、以下の4 つの理由をあげて反論した。それを見てみよう。
(1)国や町や家の内部に対立があれば、それらは立ち行かない(ちなみに、紀元70 年にエルサレムが滅びたのは、町の中に深刻な対立があったからである)。それと同じように、悪霊のかしらであるサタンが悪霊を追い出すなら、サタンの国も立ち行かない。そんなことがあるはずがない。(2)サタンを持ち出してくるのは、自らの神学的立場が一貫していないことを証明することになる。なぜなら、ユダヤ人の中にも悪霊の追い出しをする者がいるが、その場合は神の力によって悪霊を追い出しているという説明がなされる。イエスの場合だけ、悪霊の力によるというのは、論理的矛盾むじゅんである。(3)悪霊の追い出しは、神の御霊によるものである。それによって、神の国がすでに到来していることが分かる。つまり、イエスがメシアであることがそれによって証明されるということである。(4)家の中の強い者を縛らなければ家財を奪うことができないように、悪霊に支配されている者を奪い取るためには、そのかしらを縛らなければならない。つまり、イエスはサタンよりも強いお方であることが証明されたのである。

頑固なパリサイ人たち

パリサイ人たちは、イエスのメシア性を証明する圧倒的なしるしを見せられながら、それを拒否した。その理由は、イエスが自分たちの思うように動かなかったからである。また彼らは、民衆がイエスの方に向かうことを恐れた。ベルゼブル論争では、一般民衆は霊的指導者たちの誤った判断に従った。そうすることによって、彼らは神の前における自らの責務を放棄ほうきしたのである。リーダーコンプレックスという悪癖あくへきは、今日に至るまでユダヤ人たちに悪影響を与えている。
民衆の失敗から、どういう教訓を学べばよいのか。信頼できる霊的指導者から聖書を学び、各人が自力で神の御心を判断できるほどに成長する必要がある。いつまでも霊的幼子であってはならない。キリストのみからだを構成している各器官(ひとりひとりのクリスチャン)がより成長することによって、教会は今よりももっと強くなることができる。「聖書研究から日本の霊的覚醒(目覚め)が」をモットーに前進しよう。

きょうの祈り

天の父よ。どうか私に、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおな心を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ナホム書1~3、詩篇93 ~ 94