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マタイの福音書10:40 ~ 11:1

40 あなたがたを受け入れる者は、わたしを受け入れるのです。また、わたしを受け入れる者は、わたしを遣わした方を受け入れるのです。

41 預言者を預言者だというので受け入れる者は、預言者の受ける報いを受けます。また、義人を義人だということで受け入れる者は、義人の受ける報いを受けます。

42 わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いにれることはありません。」

11 章

1 イエスはこのように十二弟子に注意を与え、それを終えられると、彼らの町々で教えたり宣べ伝えたりするため、そこを立ち去られた。

派遣にあたっての指示(6)

イエスの代理人

12 使徒を派遣する前に、締めくくりとして励ましのことばが語られる。これは、弟子たちだけでなく、すべてのクリスチャンにとっても励ましになることばである。(1)多くの人が福音を拒否しても、必ず救いに入るように計画されている人がいる。当時は、「イスラエルの残れる者」と呼ばれる真のユダヤ人の信仰者がそうであった。現代では、メシアニックジューと呼ばれる人々がそうである。イエスの十字架と復活以降は、異邦人も救いに招かれるようになった。異邦人の中にも、イエスをメシアと信じる人々が用意されているのである。それゆえ、私たちは大胆に福音を宣べ伝える必要がある。「収穫は多い」ということを思い出そう。(2)使徒たちはイエスの代理人である。代理人が来たということは、イエスご自身が来られたということと同義である。それゆえ、イエスの弟子たちを信じ受け入れた者は、イエスご自身を信じ受け入れたことになる。これは、極めて重要なヘブル的概念がいねんである。(3)預言者や義人を受け入れた者は、その人自身が、預言者や義人の受ける報いを受けるようになる。さらに、小さな取るに足りない弟子であっても、イエスの弟子であるという理由でそれにふさわしい扱いをするなら、その人は必ず神からの報いを受けるようになる。「わたしの弟子だというので、この小さい者たちのひとりに、水一杯でも飲ませるなら、まことに、あなたがたに告げます。その人は決して報いに漏れることはありません」
私たちの周りに、イエスの弟子と呼ばれる人たちはいるだろうか。主のご御用のために労している牧師、伝道師、宣教師たちを愛し、その働きを支援するのは、素晴らしいことである。

派遣

さまざまな指示を与えた後、イエスは12 使徒を派遣された。イエスによって派遣されるとは、イエスの認証を受け、その権威を委譲いじょうされて出て行くことである。派遣された者には、大きな特権と責任が伴っているのである。
すべてのクリスチャンは、キリストの弟子である。福音を伝えるとき、私たちは主イエスの大使として行動している。この認識は、私たちの行動パターンを根底から変える力がある。派遣された者に与えられている特権と責任を覚えよう。私たちが語る福音を受け入れた人々は、主イエスご自身を受け入れた人々である。主イエスの御名により、イエスの代理人として祈り、伝道し、神に栄光を帰そうではないか。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。私に与えられた特権と責任とを自覚し、身が引き締まる思いがします。ここに私がいます。どうか私を用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

アモス書3~4、テサロニケ人への手紙 第一2