35 それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやされた。
36 また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。
37 そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。
38 だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」
イエスは、ガリラヤの町々や村々を巡りながら、人々を教え、神の国の福音を宣言し、病人を癒された。ここには、現代の宣教活動の原点がある。宣教師たちは、未伝地に赴き、教育、宣教、医療の三つの活動を献身的に行ってきた。わが国も、明治維新以来、宣教師たちの活動の恩恵に浴してきた。
さてイエスは、宣教の拡大に伴って、さらに多くの働き人が必要であることを認識された。この時から、イエスの伝道活動は新しい段階を迎えた。(1)イエスが示された憐れみの心に注目しよう。イエスは、群衆の姿を見てかわいそうに思われた。これは、直訳すると「はらわたが揺り動かされる」という意味である。その理由は、彼らが「羊飼いのない羊のような」状態にあったからである。(2)これと似た表現は、旧約聖書にも出てくる。「彼らは牧者がいないので、散らされ、あらゆる野の獣のえじきとなり、散らされてしまった」(エゼ34:5)。「テラフィムはつまらないことをしゃべり、占い師は偽りを見、夢見る者はむなしいことを語り、むなしい慰めを与えた。それゆえ、人々は羊のようにさまよい、羊飼いがいないので悩む」(ゼカ10:2)。当時の人々は、羊飼いのいない羊がどれほど悲惨な状況にあるかをよく理解していた。(3)行き先がわからずに右往左往している人々への愛と憐みの心こそ、伝道の原動力である。彼らは、滅びに向かって突き進んでいる。だれかがいのちに至る道を示さない限り、彼らには希望がないのである。神を知らないで生きている人々に対する憐れみの心を、神からいただこうではないか。
イエスが語られた積極的なことばに注目しよう。イエスは、「収穫は多い」と断言された。その通りである。収穫は多いのだ。「が、働き手が少ない」。問題は、神の側にではなく、私たちの側にある。私たちの不信仰、否定的な心、献身を拒む頑固な心こそが、収穫を妨害しているのだ。ここで、イエスが示された解決法に注目しよう。イエスは、「だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい」と語り、次に12使徒の選抜へと移られた(その内容は次回学ぶ)。
収穫が多くても働き人が少ないと、刈り入れはできない。すべてのクリスチャンは主の働き人である。私を収穫の畑に遣わしてくださいと祈ろうではないか。魂の準備ができている求道者に出会わせてくださいと願おうではないか。今は『収穫の時』である。
きょうの祈り
全知全能の神よ。あなたに不可能はありません。今あなたの権威の前にひれ伏します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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