8 だから、彼らのまねをしてはいけません。あなたがたの父なる神は、あなたがたがお願いする先に、あなたがたに必要なものを知っておられるからです。
9 だから、こう祈りなさい。『天にいます私たちの父よ。御名があがめられますように。
前回の箇所では、祈りの精神が説かれた。同じ言葉をくり返すのは、神を知らない異邦人の祈りだというのである。祈りは、ことば数が多いからと言って、聞かれるわけではない。
主イエスは弟子たちに、あるべき祈りとはどのようなものであるかを教えられた。それが、一般的に「主の祈り」と呼ばれるものである。より厳密には、「主が教えてくださった弟子たちの祈り」と言うべきであろう。
(1)この祈りは、模範(モデル)としての祈りである。つまり、弟子たちが祈りの手本として学ぶべきものである。(2)祈りは混沌としたものではなく、明確な組み立てを持ったものでなければならない。「主の祈り」は、明確な組み立てのもとに祈りが進められていくものである。(3)「主の祈り」は、この通りに祈ることもできるし、祈りのモデルとして使用することもできる。この祈りには、6 つの要素がある。モデルとして使用する場合は、各要素に従って自分の言葉で祈ればよい。
祈りは、呼びかけの言葉から始まる。呼びかける相手は、「天にいます私たちの父」である。この呼びかけは、神への完全な信頼の中から生まれるものである。
(1)天の父は、私たちが言葉を発する前から、私たちの必要をご存じである。それゆえ、異邦人のように長々しい祈りをささげる必要はない。天の父のご性質、また、自分と天の父との関係を思いながらこの呼びかけをするなら、祈りの目的は半分以上達成されたと言っても過言ではない。
(2)「私たち」とあるので、この祈りは信者の共同体の祈りであることが分かる。個人的な祈りも重要であるが、共同体として捧げる祈りもそれに劣らず重要である。
(3)聖書には、イエス・キリストに呼びかけたり、聖霊に呼びかけたりする祈りの例はない。常に父なる神への呼びかけで始まっている。聖書的な祈りの基本パターンとは、「イエス・キリストを通して、御霊によって、天の父なる神に祈る」というものである。この基本パターンは、聖書の神が三位一体の神であるという事実と深く関係している。
祈りを、天の父への呼びかけで始めようではないか。天の父がいかに慈愛に富んだお方であるかを思い起こし、幼子が持つ信頼の心で御座に近づこうではないか。信仰によって「天にいます私たちの父よ」と呼びかけるなら、それだけで大きな祝福を受けることができる。
きょうの祈り
天の父なる神さま。あなたに心から呼びかけることができる特権が与えられていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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