33 さらにまた、昔の人々に、『偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ』と言われていたのを、あなたがたは聞いています。
34 しかし、わたしはあなたがたに言います。決して誓ってはいけません。すなわち、天をさして誓ってはいけません。そこは神の御座だからです。
35 地をさして誓ってもいけません。そこは神の足台だからです。エルサレムをさして誓ってもいけません。そこは偉大な王の都だからです。
36 あなたの頭をさして誓ってもいけません。あなたは、一本の髪の毛すら、白くも黒くもできないからです。
37 だから、あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい。それ以上のことは悪いことです。
「…と言われていたのを、あなたがたは聞いています」というのは、「口伝律法(ミシュナ法)」による「律法の義」の解釈である。それに対して、「しかし、わたしはあなたがたに言います」というのは、メシアによる「律法の義」の解釈である。この箇所では、「誓い」の解釈がテーマになっている。誓いについてのイエスの教えを理解するためには、当時のユダヤ教の背景を理解しておく必要がある。
「偽りの誓いを立ててはならない。あなたの誓ったことを主に果たせ」とは、レビ記19:12、申命記23:21、23 などに見いだされる命令で、3 つの意味を持っている。(1)モーセの律法の基本的な教えは、「人は誓うべきではない。語った言葉が、そのまま信用されるような人でなければならない」というものである。(2)しかし例外的に、誓う必要が生じた場合は、その言葉は真実でなければならない。(3)さらに、誓ったことは実行しなければならない。
ところが、口伝律法では、誓ったことでも、さまざまな理由づけをして、それを取り消すことができるようになっていた。イエスが問題にされたのは、誓いをしても、それを合法的に破棄してしまうパリサイ人たちの欺瞞である。
パリサイ人たちは、天や地やエルサレムなどをさして誓っていた。また、頭をさして誓う者もいた。彼らは、人々から称賛されることが大好きだった。それに対してイエスは、軽はずみに誓うことや、誓いが形骸化することを厳しく戒められた。(1)「あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい」。その意味は、「はい」と言ったことは実行せよ、実行するつもりがないなら「いいえ」と言え、ということである。(2)つまり、誓わなくても、語った言葉だけで信頼される人になれという意味である。あの人は信頼できるという評判を獲得することこそ、重要なことである。
イエスがこれほどまでに誠実な誓いにこだわる理由は何か。誓いを守るということは、父なる神の性質そのものにかかわることである。私たちが信じている神は、約束したことを必ず成就されるお方である。イエス・キリストを信じる者に約束されている祝福は、すべて成就する。それゆえ、私たちは安心して神に従うことができる。クリスチャンは、父に愛されている子として、自らの言葉に責任を持つ必要がある。自分の生き方が、天の父のご性質を反映させたものとなるように、祈ろうではないか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。あなたの真実なご性質を感謝します。あなたにならって、私も真実な言葉を語ることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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