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マタイの福音書5:7 ~ 12

7 あわれみ深い者は幸いです。その人たちはあわれみを受けるから。

8 心のきよい者は幸いです。その人たちは神を見るから。

9 平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから。

10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

11 わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪口を浴びせるとき、あなたがたは幸いです。

12 喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです。

幸いな人とは(後半)

人との関係において

前回は、神との関係において見られる「幸いな人」の4 つの特徴について学んだ。今回は、人との関係において見られる4 つの特徴を見てみよう。
(1)「あわれみ深い者」とは、回りの人々の痛みや必要を敏感に察知し、それに応えようとする性質のことである。神ご自身があわれみ深い方なので、キリストの弟子たちは、互いにあわれみを示すように命じられている(マタ18:23 ~35 参照)。隣人にあわれみを示した人は、自ら神のあわれみを受けるようになる。
(2)「心のきよい者」とは、行為だけでなく、動機まできよい人のことである。表面をつくろう教えや宗教はたくさんあるが、そのようなものによって人間の汚れた心を変えることはできない。人は、聖霊によって心がくだかれ、新しく生まれ変わる必要がある。これが霊的新生である。新生した人だけが、本当の意味で、「アバ、父よ」(ロマ8:15)と祈り始めることができる。
(3)「平和をつくる者」とは、何よりもまず、信者同士の間の和解と平和を求める人のことである。世界に平和をもたらす働きは、まず信者同士の関係修復から始めなければならない。主イエスは、「もし互いの間に愛があるなら、それによってあなたがたがわたしの弟子であることを、すべての人が認めるのです」(ヨハ13:35)と語られた。
(4)「義のために迫害されている者」とは、人間関係において「神の義」がなることを追求しているために、悪口を言われたり、攻撃されたりしている人のことである。新約聖書では、迫害は神に従っていることの証拠だとされている。「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔けいけんに生きようと願う者はみな、迫害を受けます」(2テモ3:12)。この教えには、クリスチャン生活のイメージを大きく変える力がある。
ここでイエスは、「義のために迫害されている者」に関して補足説明を加えている。メシアが登場して以降は、メシアである自分を信じるがゆえに迫害にあうなら、それもまた幸いだというのである。迫害にあったとき、キリストの弟子たちは、喜びおどるように命じられている。天におけるむくいが大きいからである。旧約聖書では、モーセも、エリヤも、エレミヤも、ダニエルも、そのような迫害を経験している。クリスチャンは、この世の価値観とは全く異なった基準で生きている者たちである。私たちには神の国の価値観が与えられている。そのことを覚えて、神に感謝しようではないか。

きょうの祈り

天の父なる神さま。私の内に、神の子としての性質、イエスの弟子としての性質を宿らせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エレミヤ書36~37、コリント人への手紙 第二6