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マタイの福音書5:3 ~ 6

3 「 心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

4 悲しむ者は幸いです。その人たちは慰められるから。

5 柔和にゅうわな者は幸いです。その人たちは地を受け継ぐから。

6 義に飢えかわく者は幸いです。その人たちは満ち足りるから。

幸いな人とは(前半)

神の目から見た「幸い」

「幸いです」という祝福の宣言は、詩篇1 篇、32 篇、41 篇などにも登場する。ここで言う「幸い」とは、この世の基準によるものではなく、神の目から見た「幸い」である。前回書いたように、山上の垂訓はメシアによる「モーセの律法」の解説であり、「神の国に入るための義」の解説である。イエスをメシアとして受け入れた者は、その義を手に入れたのである。イエスは8 つの「幸いです」という宣言によって、「神の義」を手に入れた人たちの特徴を上げている。前半(3 ~6 節)は、神との関係における信者の特徴である。後半(7 ~12 節)は、人との関係における信者の特徴である。今回は、前半部分を見てみよう。

前半の4 つの特徴

(1)「心の貧しい者」とは、心がいやしいとか、心がせまいとかいった意味ではない。心が貧しいとは、プライド(傲慢ごうまん)とは対極にある性質である。心の貧しい人は、自らの霊的な貧しさを知り、「自分の義」ではなく「神の義」により頼んでいる(ルカ18:9 ~14 参照)。神の支配と臨在は、そのような人とともにある。
(2)「悲しむ者」とは、この文脈では、罪に対して敏感びんかんな性質のことである。つまり、自分の罪やこの世の悪をなげき悲しむ人のことである(詩119:136)。そういう人は、直ちに罪を告白して赦しを受け取る。また、この地上で罪の赦しを体験するばかりか、将来実現する神の国においては、神の義の完全な実現を見て慰められる。
(3)「柔和な者」とは、弱い人のことではなく、穏やかな性質の中に神へのるぎなき信頼を持っている人のことである。そういう人は、自己主張や自己弁護から解放されているので、人と言い争う必要がなくなっている。最高のお手本は、黙って十字架に向かわれた主イエスである。柔和な者は、神から多くのものを委ねられ、それを生かす人生を歩むようになる。
(4)「義に飢え渇いている者」とは、この文脈では、モーセの律法によって示された「神の義」に従うことを、ひたすら求めている人のことである。つまり、常に神との関係を第一にしているということである。そういう人は、肉体的な満たしだけでなく、精神的、霊的満たしを体験するようになる。
以上の4 つの特徴は、信仰による義を獲得かくとくした人に当てはまるものである。肉の努力では平安は生まれてこない。ここでのキーワードは、「信仰による神の義」である。

きょうの祈り

天の父なる神さま。あなたの義に信頼するようになり、私の肩から重荷が取り去られました。神の子として光の中を歩み続けることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

エレミヤ書34~35、コリント人への手紙 第二5