1 これらのことの後、エジプト王の献酌官と調理官とが、その主君、エジプト王に罪を犯した。
2 それでパロは、この献酌官長と調理官長のふたりの廷臣を怒り、
3 彼らを侍従長の家に拘留した。すなわちヨセフが監禁されている同じ監獄に入れた。
4 侍従長はヨセフを彼らの付き人にしたので、彼はその世話をした。こうして彼らは、しばらく拘留されていた。
内容に入る前に、文脈を確認してみよう。ヨセフ物語は37 章から始まった。39 章でヨセフは、ポティファルの妻の怒りに触れ、投獄された。40 章でヨセフの希望はさらに砕かれる。物語の展開を追いかけていると、ヨセフとキリストの間に相関関係があることが分かる。(1)ヨセフもキリストも、ともに辱めの極みにまで下った。(2)神の時が来ると、ともに栄誉ある地位に引き上げられる。(3)ヨセフに起こったことは、私たちにも起こる。ヨセフ物語から学ぶべき教訓は、人生の最も暗い時にどう忍耐するかということである。
(1)ヨセフの生涯には、神の摂理が働いていた。そうでなければ、何も起こらない。ところで、獄中のヨセフは監獄の長の信頼を得ていた。そういう状況の中で、パロの献酌官と調理官が、ヨセフが投獄されていた監獄に拘留された。(2)「献酌官と調理官」という言葉は、「給仕役と料理役」(新共同訳)とも訳されている。彼らは、献酌官長と調理官長である。前者の仕事はぶどう酒を注ぐこと、後者の仕事は食事を用意することである。彼らは毒味役であり、政治的相談役でもあった。(3)彼らの罪がなんであったかは、想像するしかない。一番極端な可能性は、ぶどう酒とパンに毒を入れて暗殺しようとしたことである。軽微な可能性としては、ぶどう酒の中にハエが、パンの中に砂が混入したというものがある(ユダヤ人ラビの見解)。いずれにしても、人間の王に仕えるのは容易なことではない。しかし、主イエスに仕えるのは楽しいことである。主はこう言われた。「わたしは心優しく、へりくだっているから、あなたがたもわたしのくびきを負って、わたしから学びなさい。そうすればたましいに安らぎが来ます」(マタ11:29)。(4)侍従長は、ヨセフを彼らの付き人にした。侍従長とはポティファルのことである。彼が依然としてヨセフに信頼を置いているのは、驚くべきことである(ヨセフとバプテスマのヨハネには類似点がある。ヘロデ・アンテパスは、ヨハネが無罪であることを知りながら投獄し、最後は、妻の手前ヨハネを斬首した)。
地位や身分(外面的祝福)を失っても、信頼をなくさないことが大切である。私たちも、上に立つ人から不当な扱いを受ける時があるが、その上司はその程度の人なのだと思えばよい。神は、どんな時でも私たちを見ておられる。神に信頼する人は、時が来れば高く引き上げられる。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。いかなる時にも、あなたを見上げ、信頼を失わないような生き方をさせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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列王記第一1~2、箴言22
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