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創世記39:1~6

1 ヨセフがエジプトへ連れて行かれたとき、パロの廷臣で侍従長のポティファルというひとりのエジプト人が、ヨセフをそこに連れて下って来たイシュマエル人の手からヨセフを買い取った。

2 【 主】がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。

3 彼の主人は、【主】が彼とともにおられ、【主】が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。

4 それでヨセフは主人にことのほか愛され、主人は彼を側近の者とし、その家を管理させ、彼の全財産をヨセフの手にゆだねた。

5 主人が彼に、その家と全財産とを管理させた時から、【主】はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。それで【主】の祝福が、家や野にある、全財産の上にあった。

6 彼はヨセフの手に全財産をゆだね、自分の食べる食物以外には、何も気を使わなかった。しかもヨセフは体格も良く、美男子であった。

エジプトでのヨセフ

ポティファルに買われるヨセフ

創世記37:36 と39:1 とがつながっている。イシュマエル人の商人は、ヨセフを銀20 枚で買い取った。彼らがヨセフをいくらで売ったかは分からないが、大もうけをしたことは確かである。しかし、一番もうけたのはポティファルである。(1)彼は「パロの廷臣」であった。ヘブル語では「サリス」である。この言葉は、通常は宦官かんがんを指すが、彼には妻がいたので宦官ではない。(2)彼は「侍従長」であった。ヘブル語では「サール・ハ・タバヒム」である。これは、ボディーガードの長、あるいは、衛兵隊の隊長のことである。別訳では、死刑執行人の長というものもある。
今まで父の家で育ってきた青年ヨセフにとって、これは深刻な状況の変化である。しかし彼は、決して絶望したり、自暴自棄じぼうじきになったりはしなかった。「【主】がともにおられた」という表現がくり返し出て来る。(1)【主】と訳された言葉は、「ヤハウェ(アドナイ)」である。これは固有名詞であり、契約の神の御名でもある。(2)アブラハム契約のゆえに、神はヨセフとともにいるのである。「ヤハウェ」という言葉は、2 節、3 節(2 回)、5 節(2 回)に出て来る。(3)長服を取られ、奴隷に売られても残されたものがある。それは高潔な人格と信仰である。世界の文化の中心であるエジプトの世界観よりも、ヨセフの世界観のほうが大きいのだ。

【主】からの祝福

ヨセフの信仰に応えて、神は彼のすることすべてを祝福された。(1)ポティファルは、それがヘブル人の神による祝福であることを認めた。ポティファルが【主】を信じたわけではない。彼は祝福の結果を見て、ヨセフの神の偉大さを認めたということである。(2)ヨセフはポティファルから信頼された。最初は下働きから始まったのだが、小さなことに忠実であったので、ついには家の管理と全財産の管理を任されるようになった。(3)【主】はヨセフのゆえに、ポティファルの家を祝福された。これは、アブラハム契約の付帯条項ふたいじょうこうの一つである。イスラエルを祝福する者は、【主】から祝福を受ける。(4)ポティファルは、自分の食べる物以外は、すべてヨセフに委ねた。エジプト人はヘブル人が用意した食事は食べなかった(創43:32 参照)。
困難な状況に直面した時、ヨセフのことを思い出そう。主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すものは何もないことを覚え(ロマ8:38 ~39)、勇気をいただこうではないか。

きょうの祈り

アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。ヨセフの人格と信仰とを、私にも与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

サムエル記第二17~18、使徒の働き10