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創世記36:9~30

9 これがセイルの山地にいたエドム人の先祖エサウの系図である。

10 エサウの子の名は次のとおり。エサウの妻アダの子エリファズ、エサウの妻バセマテの子レウエル。

11 エリファズの子はテマン、オマル、ツェフォ、ガタム、ケナズである。

12 ティムナはエサウの子エリファズのそばめで、エリファズにアマレクを産んだ。これらはエサウの妻アダの子である。

13 レウエルの子は次のとおり。ナハテ、ゼラフ、シャマ、ミザ。これらはエサウの妻バセマテの子であった。

14 ツィブオンの子アナの娘でエサウの妻オホリバマの子は次のとおり。彼女はエサウにエウシュとヤラムとコラを産んだ。

15 エサウの子で首長は次のとおり。エサウの長子エリファズの子では、首長テマン、首長オマル、首長ツェフォ、首長ケナズ、

16 首長コラ、首長ガタム、首長アマレクである。これらはエドムの地にいるエリファズから出た首長で、アダの子である。

17 エサウの子レウエルの子では、次のとおり。首長ナハテ、首長ゼラフ、首長シャマ、首長ミザ。これらはエドムの地でレウエルから出た首長で、エサウの妻バセマテの子である。

18 エサウの妻オホリバマの子では、次のとおり。首長エウシュ、首長ヤラム、首長コラである。これらはエサウの妻で、アナの娘であるオホリバマから出た首長である。

19 これらはエサウ、すなわちエドムの子で、彼らの首長である。

20 この地の住民ホリ人セイルの子は次のとおり。ロタン、ショバル、ツィブオン、アナ、

21 ディション、エツェル、ディシャンで、これらはエドムの地にいるセイルの子ホリ人の首長である。

22 ロタンの子はホリ、ヘマム。ロタンの妹はティムナであった。

23 ショバルの子は次のとおり。アルワン、マナハテ、エバル、シェフォ、オナム。

24 ツィブオンの子は次のとおり。アヤ、アナ。このアナは父ツィブオンのろばを飼っていたとき荒野で温泉を発見したアナである。

25 アナの子は次のとおり。ディションと、アナの娘オホリバマ。

26 ディションの子は次のとおり。ヘムダン、エシュバン、イテラン、ケラン。

27 エツェルの子は次のとおり。ビルハン、ザアワン、アカン。

28 ディシャンの子は次のとおり。ウツ、アラン。

29 ホリ人の首長は次のとおり。首長ロタン、首長ショバル、首長ツィブオン、首長アナ、

30 首長ディション、首長エツェル、首長ディシャン。これらはホリ人の首長で、セイルの地の首長である。

エドム人の先祖エサウの歴史

15 人の息子と孫たち

ここから第10 番目のトルドット(歴史、系図)が始まる。カナンの地でのエサウの歴史が第9 番目のトルドット、セイルの山地でのエサウの歴史が第10 番目のトルドットである。(1)ここではセイルの山地に住みついて以降のエサウの妻、子どもたち、孫たちの名が記されている。子どもが5 人、孫が10 人、合計15 人である。(2)注目すべきは、エリファズとアマレクである。このエリファズは、ヨブ記に登場するエリファズ(ヨブの3 人の友人の1 人)と同一人物と思われる(ヨブ2:11)。ヨブ記の年代はちょうどこの頃であるし、場所もセイルの山地付近である。(3)このアマレクも、エジプトを出て来たイスラエルの民と最初に戦った(出17 章以下)アマレク人の先祖と思われる。エサウとヤコブは、もとは双子の兄弟であったが、出エジプトの頃になると、エサウの子孫であるアマレク人は、イスラエルの宿敵となっていた(出17:8 ~16、申25:17 ~19、1 サム15:2 ~3)。

13 人の首長たち

合計15 人の息子たちと孫たちから、13 人の首長が起こされた。首長とは族長のことで、エサウから13 の氏族(部族)が出たことが示されている。さらに、エサウ(エドム)の子たちは、セイルの山地に住んでいたホリ人たちを征服せいふくし、雑婚ざっこんによって勢力範囲を拡大した。「アナの娘オホリバマ」(25 節)は、2 節の「ツィブオンの子アナの娘オホリバマ」と同一人物である。これは、エサウが雑婚を実行していた証拠しょうこになる。申命記2:12 にはこうある。「ホリ人は、以前セイルに住んでいたが、エサウの子孫がこれを追い払い、これを根絶やしにして、彼らに代わって住んでいた。ちょうど、イスラエルが主の下さった所有の地に対してしたようにである」
エサウが子孫に残した影響と遺産は、永遠の視点から見て価値があったかどうか考えてみよう。エサウへの約束は、ヤコブへの約束よりも早く成就した。彼は、自分が所有する土地(セイルの山地)を早々と手に入れ、そこに安住した。それに対して、ヤコブに与えられた約束はなかなか成就しなかった。それどころか、ヤコブの一家は、エジプトに下るようになる。ものごとが表面的にうまくいっているかどうかで、神の祝福を受けているかどうかを判定すべきではない。本物が完成するためには、時間と労苦が必要なのである。クリスチャンが味わう祝福とは、日々の喜び、日々のチャレンジ、そして、変わることのない希望である。

きょうの祈り

天の父なる神さま。どうか私に、不動の信仰、ブルドーザーのような信仰をお与えください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

サムエル記第一26~27、詩篇37 ~ 38