18 こうしてヤコブは、パダン・アラムからの帰途、カナンの地にあるシェケムの町に無事に着き、その町の手前で宿営した。
19 そして彼が天幕を張った野の一部を、シェケムの父ハモルの子らの手から百ケシタで買い取った。
20 彼はそこに祭壇を築き、それをエル・エロヘ・イスラエルと名づけた。
パダン・アラムを出たヤコブ一家が、いよいよカナンの地に入る。(1)ヤコブは、ペヌエルで祝福を求めて神と戦い勝利した。その時彼に、イスラエルという新しい名が与えられた。(2)次にヤコブは、長年恐れていた兄のエサウとの平和的再会を果たした。(3)しかしヤコブは、すぐにカナンの地に入ろうとせず、その直前のスコテに1 年半ほど滞在した。(4)この箇所で、ヤコブの一家はついにカナンの地に入る。しかしヤコブは、ベテルに上る前にシェケムに留まる。そしてそこが、悲劇(ディナ事件)の舞台となるのである。
(1)ヤコブは無事にカナンの地に到着した。「無事に着き」とは、創世記28:15、31:3 の約束の成就である(神がともにおられる)。(2)ヤコブの一家は、「町の手前で宿営」した。当時のカナン人の共同体は、都市国家である。市民でない遊牧民は、町の外に住むのが当時のならわしである。これは、アブラハム、イサクの生活パターンでもあった。ソドムの住民になる前のロトも、この生活パターンに従っていた。(3)ヤコブは、天幕を張った野の一部を購入した。売り手は、ハモルの息子たち(ハモルはシェケムの父親)である。価格は100 ケシタであるが、どれくらいの貨幣価値があるかは、不明である(ケシタは「羊の刻印のある貨幣」と考える人もいる。その場合は、100 ケシタは羊100 頭分くらいになる)。(4)ヤコブは、族長たちの習慣に則り、そこに祭壇を建設した。それは、感謝のいけにえを献げるための祭壇で、「エル・エロヘ・イスラエル」と名付けられた。「神、イスラエルの神」という意味であるが、イスラエルという名が初めて使われた事例である。
ここでヤコブの行動について、いくつもの疑問がわいてくる。彼はなぜ、ベテルに行かないで、シェケムに滞在したのか。なぜ土地を買う必要があったのか。アブラハムやイサクは天幕生活をしたが、ヤコブは定住生活を望んでいたようである。このように見ていくと、ヤコブの中に、まだベテルに上る霊的準備ができていなかったように思える。言い換えると、彼の内に、イスラエルという名にふさわしい実質がまだ育っていなかったということである。彼がベテルに上るのを躊躇し、シェケムに留まったために、ディナ事件という悲劇が起こる。ここには、私たちへの教訓がある。神の御心の外に出ることは、自らの身に危険を招くことである。自分の計画と神の御心が一致している人は、幸いである。
きょうの祈り
天の父なる神さま。あなたの御心を行うことを先に延ばすのは、愚かなことです。どうか信仰による決断をすることができますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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