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創世記25:24 ~ 26

24 出産の時が満ちると、見よ、ふたごが胎内にいた。

25 最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた。

26 そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それでその子をヤコブと名づけた。イサクは彼らを生んだとき、六十歳であった。

ふたごの誕生

兄の誕生

「出産の時が満ちると、見よ、ふたごが胎内にいた。最初に出て来た子は、赤くて、全身毛衣のようであった。それでその子をエサウと名づけた」。(1)「赤くて」は、ヘブル語で「アドモニ」である。ここから、「エドム」という言葉が出てきた。(2)「アドモニ」は、ここ以外ではダビデに関してのみ出てくる言葉である。1 サムエル16:12 では、その言葉は「血色の良い」と訳されている。1 サムエル17:42では、「紅顔の」という訳になっている。(3)エサウとは、「毛深い」という意味である。個人名のエサウは、毛深いという肉体的特徴からつけられた名であり、民族名のエドムは、毛の色が赤かったところからつけられた名である。混乱しないように注意しよう。エサウの子孫たちはエドムと呼ばれ、先祖の性質を継承する民となった。

弟の誕生

「そのあとで弟が出て来たが、その手はエサウのかかとをつかんでいた。それでその子をヤコブと名づけた」。(1)弟は兄のかかとをつかんで出て来た。「かかと」は、ヘブル語で「アケブ」である。「ヤコブ」と「かかと(アケブ)」は、同じ語根から出た言葉である。(2)「ヤコブ」の第一義的な意味は、「かかとをつかむ者」で、第二義的な意味は、「追い出す者」である。(3)ヤコブという言葉は中立の言葉であり、そこには否定的なニュアンスは含まれていない。それが肯定的な意味になるか、否定的な意味になるかは、文脈によって決まる。(4)否定的な意味で使われている例としては、創世記27:36、ホセア12:3、エレミヤ9:4 などがある。
キリスト教の伝統では、ヤコブを狡猾こうかつな人物として批判ひはんするのが一般的である。しかし聖書は、そのようにはヤコブを糾弾きゅうだんしていない。むしろ、ヤコブを信仰の偉人として描いている。ユダヤ人たちも、先祖のヤコブを尊敬している。私たちもまた、ヤコブについての評価を再吟味する必要がある。創世記32:28 には次のようにある。「その人は言った。『あなたの名は、もうヤコブとは呼ばれない。イスラエルだ。あなたは神と戦い、人と戦って、勝ったからだ』」。神は、ヤコブが神の祝福を求めて熱心に祈り続けたことを高く評価された。私たちの祈りはどうか。神の祝福を求めて、忍耐深く、熱心に祈り続ける人は、ヤコブの信仰にならっている人である。

きょうの祈り

アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。どうか私にヤコブのような信仰を与えてください。忍耐の限りを尽くして、約束の成就のために祈らせてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

民数記31~32、箴言12