9 彼らはアブラハムに尋ねた。「あなたの妻サラはどこにいますか。」それで「天幕の中にいます」と答えた。
10 するとひとりが言った。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている。」サラはその人のうしろの天幕の入口で、聞いていた。
11 アブラハムとサラは年を重ねて老人になっており、サラには普通の女にあることがすでに止まっていた。
12 それでサラは心の中で笑ってこう言った。「老いぼれてしまったこの私に、何の楽しみがあろう。それに主人も年寄りで。」
13 そこで、【主】がアブラハムに仰せられた。「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言って笑うのか。
14 【主】に不可能なことがあろうか。わたしは来年の今ごろ、定めた時に、あなたのところに戻って来る。そのとき、サラには男の子ができている。」
15 サラは「私は笑いませんでした」と言って打ち消した。恐ろしかったのである。しかし主は仰せられた。「いや、確かにあなたは笑った。」
食事を終えた3 人の人がアブラハムに、「あなたの妻サラはどこにいますか」と尋ねた。彼らは、サラという新しい名前を知っていた。この質問は、サラの注意を引くためになされたものである。質問したのは3 人(複数)であるが、約束のことばを語るのはひとり(単数)である。「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている」(10節)。この人は、13 ~14 節になると、「【主】(ヤハウェ)」と呼ばれている。つまり、この約束を与えたのは、神ご自身だということである。「来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます」とは、再び姿を現すということではなく、約束が必ず成就するという意味である。約束の内容は、サラから男の子が誕生するということである。これは、創世記17:21 でアブラハムに語られた約束と同じものである。このことから、17 章と18 章の間にはわずかの時間しか経過していないことが分かる。
アブラハムは、神の約束を信じたが、サラにはまだその信仰がなかった。約束のことばを聞いた時の彼女の反応は、「不信仰の苦笑」であった。彼女は、老齢出産は不可能だという理性的な判断を下したのである。
【主】はアブラハムに、「サラはなぜ『私はほんとうに子を産めるだろうか。こんなに年をとっているのに』と言って笑うのか」とお語りになった。これは、神が全知全能であることを示している。さらに【主】は、「【主】に不可能なことがあろうか」とアブラハムとサラに挑戦された。「不可能」と訳された言葉は、ヘブル語では「ペレ」である。これは神に関してのみ使われる言葉で、その意味は英語の「ワンダフル」と同じである(士13:18、詩139:6、イザ9:6、28:29 参照)。「【主】に不可能なことがあろうか」は、新約聖書にも出てくる大いなる問いかけである(ルカ1:37、マタ19:26 参照)。サラは恐ろしくなり、「私は笑いませんでした」と言って打ち消した。サラの恐れは、【主】が彼女の心の中を見通しておられることから来る恐れである。彼女は、人間を超越した全知全能の神に触れたのである。
困難な状況に遭遇したなら、「【主】に不可能なことがあろうか」と自問自答してみよう。私たちは弱い者であるが、信仰によって神の励ましを受けることができる。それがいかなる困難や誘惑であっても、神はそこから私たちを救うことがおできになる。神に不可能なことは何ひとつない。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。あなたの約束は、100パーセント成就します。私もその約束の中に置かれていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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