10 ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、【主】がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、【主】の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた。
11 それで、ロトはそのヨルダンの低地全体を選び取り、その後、東のほうに移動した。こうして彼らは互いに別れた。
12 アブラムはカナンの地に住んだが、ロトは低地の町々に住んで、ソドムの近くまで天幕を張った。
13 ところが、ソドムの人々はよこしまな者で、【主】に対しては非常な罪人であった。
「ロトが目を上げてヨルダンの低地全体を見渡すと、【主】がソドムとゴモラを滅ぼされる以前であったので、その地はツォアルのほうに至るまで、【主】の園のように、またエジプトの地のように、どこもよく潤っていた」(10 節)。(1)ロトは、最良の地を得ようとしてヨルダンの低地を見渡した。いまアブラムとロトが立っているのは中央山地である。そこからは、東と西の両方がよく見渡せる。(2)アブラムとロトの性質の違いに注目しよう。アブラムは、エジプトでの失敗によって、信仰を深めることができた。彼は、富を所有していたが、富に所有はされていなかった。そのため彼は、どこを選ぶかの選択権をロトに譲ることができた。(3)一方ロトは、物質的なこだわりを持っていた。彼が上げた目は、信仰の目ではなく、肉の目である。肉の目には、ヨルダンの低地が実に魅力的に見えた。その地は、エデンの園のように、またエジプトの地のようによく潤っていた。(4)ロトは、アブラムに敬意を表することもなく、ヨルダンの低地を選び、すぐに東に移動して行った。やがて彼は、ソドムの近くにまで天幕を張るようになる。ロトが、よこしまな人々が住むソドムの町に入るのは、もはや時間の問題となった。
「ところが、ソドムの人々はよこしまな者で、【主】に対しては非常な罪人であった」(13 節)。(1)これは、ロトの選びに関する神の評価である。「よこしまな者」とはヘブル語で「ライーム」で、「悪い者、邪悪な者」の意味がある。ソドムの町は堕落していたが、ロトがそれを認識していたかどうかは、聖書からは分からない。(2)この物語には、ノアの物語との対比がある。「主は、地上に人の悪が増大し、その心に計ることがみな、いつも悪いことだけに傾くのをご覧になった」(創6:5)。ノアの物語では、人類一般が悪に染まったため、その悪を神の裁き(大洪水)によって取り除く必要が生じた。この物語では、ひとりの人と、ひと家族だけが救われた。ソドムの裁きの場合もそれと似ている。ひとりの人と、ひと家族だけが救われるのである。
肉の目を上げたロトは、周りの人々から孤立し、結果として富まで失う。信仰の目を上げたアブラムは、さらに神の祝福を受け、周りの人々から信頼される存在となっていく。ここには、私たちへの教訓がある。富を追及するか、神の御心を追及するかで、私たちの人生の景色が全く違ってくる。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。どうか私が、神の時に応答しながら歩むことができますように、私を助けてください。肉の目ではなく、信仰の目を上げることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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