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創世記8:1 ~ 5

1 神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。それで、神が地の上に風を吹き過ぎさせると、水は引き始めた。

2 また、大いなる水の源と天の水門が閉ざされ、天からの大雨が、とどめられた。

3 そして、水は、しだいに地から引いていった。水は百五十日の終わりに減り始め、

4 箱舟は、第七の月の十七日に、アララテの山の上にとどまった。

5 水は第十の月まで、ますます減り続け、第十の月の一日に、山々のいただきが現れた。

神の守り

心に留める

 「心に留める(覚えている)」とはどういう意味なのか。(1)この言葉は、単に「忘れていない」ということではなく、心に留めている対象に対する「行動」を指す言葉である。つまり神は、箱舟の中の人間と動物を守るために、行動を起こされたということである(創19:29、出2:24、エレ2:2 など参照)。(2)さらにこれは、契約関係を前提として語られる言葉である。この時点では、ノア契約はまだ結ばれていなかったが、その預言は創世記6:18 で与えられていた。「しかし、わたしは、あなたと契約を結ぼう」。神はノア契約を前提として、箱舟の中にいた人間と動物を守るために行動を起こされたのである。この真理は、新約時代に生きる私たちにも適用される。私たちは決して神から見捨てられることはない。

風を使って

 (1)地から水が引き始めるが、それは、神が風を使ってそうなさったからである。1 節に書かれた内容は、創世記1:2 の内容とよく似ている。「地は茫漠として何もなかった。やみが大水の上にあり、神の霊が水の上を動いていた」。創世記8 章は、創世記1 ~2 章に記された「天地創造のテーマ」の再現である。つまり、乾いた土地が現れ、そこに植物が生長するのである。(2)2 節に入ると、地下の水源が閉ざされ、天からの雨がとどめられている。つまり、2 つの水源からの増水がなくなったということである。(3)3 節に入ると、水は地から引き始めている。具体的には、150 日の終わりに減り始めたとある。水が蒸発によって減り始めたのである。(4)4 節では、箱舟は第7 の月の17 日に、アララテ山の上にとどまった。つまり、水位が相当下がったということである。アララテ山の標高は5,000 メートル以上もあるので、箱舟が頂上にとどまったということではなく、山麓さんろくのどこかにとどまったと解釈すべきであろう。(5)5 節では、水は第10 の月まで、ますます減り続け、第10 の月の1 日に、山々の頂が現れたとなっている。最初は高い山々が、次に低い山々が姿を現している様子が描かれている。
 この箇所を、私たちの人生に適用してみよう。いかなる試練(大洪水)が襲ってきても、私たちには神の守りがある。また、その試練(大洪水)は必ず過ぎ去る。人間に信頼を置く者は、必ず失望させられることになる。変わることのないイエス・キリストの愛を見上げて歩む人は、幸いである。イエスの愛によってはげましを受け、試練しれんを乗り越えようではないか。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。いかなる試練も、必ず過ぎ去ることを感謝します。きょうもイエスの愛で私を満たしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

歴代誌 第二7~8、ヨハネの黙示録12