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創世記6:1 ~ 4

1 さて、人が地上にふえ始め、彼らに娘たちが生まれたとき、

2 神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て、その中から好きな者を選んで、自分たちの妻とした。

3 そこで、【主】は、「わたしの霊は、永久には人のうちにとどまらないであろう。それは人が肉にすぎないからだ。それで人のよわいは、百二十年にしよう」と仰せられた。

4 神の子らが、人の娘たちのところに入り、彼らに子どもができたころ、またその後にも、ネフィリムが地上にいた。これらは、昔の勇士であり、名のある者たちであった。

雑婚とその結果(1)

堕天使と人間の女との雑婚

 1~2節に記されているのは、堕天使と人間の女との雑婚である。(1)「神の子ら」(ベネイ・ハエロヒム)という言葉は、ヘブル語聖書(旧約聖書)では常に天使を指す。この言葉は、良い天使も堕天使も指す(ヨブ1:6、2:1、38:7参照)。(2)天使は、神によって造られたので、「子ら(sons)」と呼ばれるのである。(3)新約聖書に入ると、「神の子」は天使以外の者も指すようになる。ルカ3:38ではアダムが、ヨハネ1:12では信者がそう呼ばれている。新約聖書の例でも、神によって直接造られたという要素は残っている。(4)イエス・キリストもまた「神の子」であるが、イエスの場合は「ひとり子」と呼ばれる。それは、イエスが永遠に存在していることを示している。(5)堕天使と人間の女との雑婚という解釈は、昔からあるユダヤ人の解釈である。ユダヤ人の歴史家ヨセフスは、「ユダヤ古代史」(紀元173年)の中で、「神の子ら」(ベネイ・ハエロヒム)を「天使」と解釈している。

領域を超えるという罪

 (1)「人の娘たち」とは、人間の女のことである(カインの系列の女も、セツの系列の女も含まれている)。(2)「神の子らは、人の娘たちが、いかにも美しいのを見て」とある。「いかにも美しい」とは、性的ニュアンスを含んだ言葉で、堕天使たちが欲望の目で人間の女を見たことを示している。良い天使は結婚しないが、堕天使はそうではない。(3)「好きな者を選んで、自分たちの妻とした」は、堕天使と人間の雑婚を表している。(4)どうしてサタンは、悪霊ども(堕天使たち)にこのようなことをさせたのであろうか。その背景には、創世記3:15の「女の子孫(種)」の約束がある。その言葉は、サタンに向かって語られたものであった。サタンは、人間の女の「かたち」を破壊し、「女の子孫」の誕生を妨害しようとしたのである。(5)かくして、堕天使たちは「人と天使の垣根かきね 」を越えた。これは重大な罪である。
 罪の根源こんげんは、自らの領域りょういきを超えて神のようになろうとするところにある。自分の人生は自分で決めるという傲慢ごうまんな思いを持つ人は、自らを神としている人である。私たちは、目的をもって造られ、日々神によって生かされている。神の御心と調和した人生こそ、幸いな人生である。「幸いなことよ。悪者のはかりごとに歩まず、罪人の道に立たず、あざける者の座に着かなかった、その人」(詩1:1)

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。私はきょうもあなたに生かされています。私の人生は、祝福で満ちています。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

歴代誌 第一12~13、ヨハネの黙示録4