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創世記4:3〜7

3 ある時期になって、カインは、地の作物から【主】へのささげ物を持って来たが、

4 アベルもまた彼の羊の初子の中から、それも最上のものを持って来た。【主】はアベルとそのささげ物とに目を留められた。

5 だが、カインとそのささげ物には目を留められなかった。それで、カインはひどく怒り、顔を伏せた。

6 そこで、【主】は、カインに仰せられた。「なぜ、あなたは憤っているのか。なぜ、顔を伏せているのか。

7 あなたが正しく行ったのであれば、受け入れられる。ただし、あなたが正しく行っていないのなら、罪は戸口で待ち伏せして、あなたを恋い慕っている。だが、あなたは、それを治めるべきである。」

カインとアベルのささげ物

カインのささげ物

 (1)「ある時期になって」という言葉は、「ある期間(時期)の終わりに」と訳すことができる。この言葉から、アダムの息子たちは定期的にささげ物を【主】にささげていたことが分かる。これまでカインは、弟のアベルから羊かヤギを買ってささげていたはずである。しかし今回は、彼は地の作物を持ってきた。これは、血が伴わないささげ物なので、このままでは神に受け入れられることはない(モーセの律法では、穀物のささげ物は血のささげ物といっしょにささげなければならないとされている)。(2)カインがささげたものは、最高のものでも、初穂でもなかった。彼は、単に宗教的義務を果たすためにそれをしているだけである。(3)【主】はなぜカインのささげ物には目を留められなかったのか。最上のものではなかった、神の御心にかなったものではなかった、動機が間違っていた、などの理由が考えられる。
 私たちの場合はどうか。神に対して、また隣人に対して、何かを差し出すときは、喜んでそれをしようではないか。与えることができる立場に置かれていることを神に感謝しようではないか。

アベルのささげ物

 (1)アベルは、初子の羊を持ってきた。これは、血のささげ物で、しかも、最良のものであった。アベルにとっては、これは信仰の行為である。(2)カインとアベルの差は、単なる態度の違いではなく、血の犠牲をささげたかどうかの違いである(ヘブ11:4、1224参照)。【主】はアベルのささげ物を受け入れ、カインのささげ物を退しりぞけられた。(3)それを見たカインは、ひどく怒り、顔を伏せた。神に反抗する人は、必ず怒り、顔を伏せるようになる。
 カインとアベルを比較してみよう。彼らはともに、人類の堕落後、エデンの園の外で生まれ、同じ環境で育てられた。カインのささげ物は信仰によるものではなかったが、アベルのささげ物は、それまでに与えられていた啓示に応答するものであった。問題を指摘してきされた時、カインは怒った。これはおろか者の応答である。私たちの場合はどうか。次回、「あなたのここが間違っている」と忠告されたとき、自らの内面を直視し、改めるべきところは改める勇気をいただこうではないか。

きょうの祈り

天の父なる神さま。日々の生活において、カインの道ではなく、アベルの道を歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ネヘミヤ記5~6、ヨハネの手紙 第一4