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申命記5:17〜18 (新改訳2017)

17 殺してはならない。

18 姦淫してはならない。

第6戒と第7戒

第6戒

 「殺してはならない」。これが第6 戒である。(1)「殺す」とは、他人の命を不法に奪うことである。当然、殺意を抱いて行為に及ぶことを意味する。(2)人は神の「かたち」に造られているので、その命を奪うことは大罪に値する。(3)この命令も、神との契約という文脈で理解する必要がある。モーセの律法(トーラー)の中で神が許可しておられる場合を除いて、人の命を奪うことは禁じられている。つまり、神が許可していない殺人は、他人の命を不法に奪うことになるということである。(4)第6 戒の規定は、死刑制度や戦争に参加することを禁止したものではない。死刑や戦争に関しては、モーセの律法の中の他の箇所を参考にすべきである。
 人を殺すことは、契約に基づく教えに反抗することであり、契約の継承を危険にさらすことである。契約の継承がなされないなら、イスラエルの民は約束の地で長く住むことができなくなる。新約聖書に入ると、心の中で犯す殺人が問題視されるようになる。すべての罪は、内面から始まるからである。

第7戒

 「姦淫してはならない」。これが第7 戒である。(1)男女の結婚関係は、神と信者の関係を反映させたものでなければならない。それゆえ、婚外の性的関係は禁止されているのである。(2)第7 戒違反は、神とイスラエルの民の関係(契約関係)を否定する行為であり、民が約束の地で幸せに住むことを危うくするものである。(3)では、婚前の性的関係はどうなのか。この聖句から明確な回答を得ることはできないが、モーセの律法の他の箇所がそれを否定している。「それゆえ、男は父と母を離れ、その妻と結ばれ、ふたりは一体となるのである」(創2:24)。「人が、まだ婚約していない処女を誘惑し、彼女と寝た場合、その人は必ず、彼女の花嫁料を払って彼女を自分の妻としなければならない」(出2216。申221329 も参照)
 結婚という契約を守らないイスラエル人は、神との契約にも無頓着になる。その結果、彼らは偶像の神々に惹かれて行くようになる。聖書は、偶像礼拝を「霊的姦淫」にたとえているが、それは的を射た表現である。
 自らのライフスタイルが、イエス・キリストにある神との契約関係を反映させたものになっているかどうか、吟味してみよう。

年間聖書通読

ヨブ記38〜39、ヘブル人への手紙6