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使徒の働き11:19 ~ 21

19 さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった。

20 ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシヤ人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。

21 そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。

アンテオケでの異邦人伝道(1)

文脈の確認

「さて、ステパノのことから起こった迫害によって散らされた人々は、フェニキヤ、キプロス、アンテオケまでも進んで行ったが、ユダヤ人以外の者にはだれにも、みことばを語らなかった」。この箇所は、使徒8:4 とつながっている。「他方、散らされた人たちは、みことばを宣べながら、巡り歩いた」。ステパノの殉教をきっかけに迫害が起こり、ヘレニストのユダヤ人信者たちは、エルサレムから逃れた。この後、ピリポはサマリヤの町で伝道した。それ以外の散らされた人たちがどうなったのかという話が、ここから始まる。
これまでの教会成長の過程を振り返ってみる。教会は最初、ユダヤ人信者だけで構成されていた(2 章)。次にサマリヤ人信者が加えられた(8 章)。最後に、異邦人信者が加えられた(10 章)。とはいえ、カイザリヤの信者は少数であった。もし大量の異邦人信者が教会に加えられたら、どうなるか。ユダヤ人信者と異邦人信者の人口バランスがくずれる。そうなると、ユダヤ人伝道の将来が心配になる。しかし、アンテオケ教会の誕生と成長は、神の計画に沿った出来事であった。

アンテオケでの異邦人伝道

(1)エルサレムから逃避とうひしたヘレニストのユダヤ人信者たちは、ディアスポラのユダヤ人共同体が存在する町々に散って行った。(2)エルサレムからアンテオケまでのルートには、以下の町々が存在していた。フェニキヤ(イスラエルの北、地中海岸沿いの地域。現在のレバノン)。キプロス(イスラエルと小アジアの間に浮かぶ島。バルナバの故郷)ダマスコ(使9 章ですでに取り上げられていたので、ここには出て来ない)。アンテオケ(シリアのアンテオケ。ここは、1939 年にトルコ領に編入されたので、今はシリア領ではない)。これらの町々には、ユダヤ人共同体が存在していた。ちなみに、エルサレムからアンテオケまでは、約500 キロある。(3)散らされた人たちは、ユダヤ人にしか「みことば」(福音)を語らなかった。異邦人伝道は、まだ彼らの発想の中にはなかったのである。それゆえ、ユダヤ人伝道だけを行っていた。
次回の箇所で、積極的に異邦人伝道を行う人たちが登場する。いつの時代でも、人間的な壁を乗り越えて、神の国の広がりのために献身する人たちが出て来る。神は、そのような先駆的な人たちを用いて御自身の栄光を現される。自分にとって乗り越えるべき壁とは何なのか、黙想してみよう。

きょうの祈り

全知全能なる神よ。あなたのご計画が阻まれることはありません。どうか、私を神の国の広がりのために用いてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ヨブ記4~6、テトスへの手紙2