1 テオピロよ。私は前の書で、イエスが行い始め、教え始められたすべてのことについて書き、
2 お選びになった使徒たちに聖霊によって命じてから、天に上げられた日のことにまで及びました。
使徒の働きの内容に入る前に、いくつかのことを確認しておこう。①ルカとは誰か。②この書は、いつ執筆されたか。
(1)ルカは、ルカの福音書と使徒の働きの執筆者であるが、彼に関しては、ほとんど情報がない。彼が高等教育を受けていたことは疑いようのない事実である。彼は医者であった。つまり、癒しの奇跡に関しては、医学的見地から証言することが出来たということである。(2)ルカは異邦人であるというのが通説である(コロ4:14 を根拠としている)。コロサイ4:10 ~ 11 で、パウロはユダヤ人信者たちの名前を列挙しているが、ルカの名はその中にはなく、異邦人グループの中に出て来る。(3)しかし、ルカはユダヤ人であるという説もある。この説では、ルカはディアスポラのユダヤ人だとされる。ルカが書く見事なギリシア語の文章の背後に、ヘブライズムが存在しているというのである。またルカは、ユダヤ教の神学や習慣に精通している。さらに、エルサレムへの深い関心が見られる。個人的には、ルカはディアスポラのユダヤ人である可能性が高いと思う。
(1)紀元70 年以前に書かれた。エルサレムが崩壊したのは、紀元70 年である。もしそれがすでに起こっていたとするなら、ルカがそれを省略するはずがない。(2)紀元66 ~ 68 年以前に書かれた。伝統的に、パウロは紀元66 年~ 68 年ごろに死んだと言われている。もしパウロの死後に書かれたとしたら、ルカがそれを省略するはずがない。(3)紀元64 年以前に書かれた。ネロによるクリスチャンの迫害は、ローマの大火の直後から始まった。もしネロの迫害の迫害以降に書かれたとしたら、使徒の働きの中に出て来る「キリスト教を合法と認めるローマの判決」は、意味をなさなくなる。(4)紀元60 ~ 62 年頃に書かれた。パウロがローマで投獄されていたのは、紀元60 ~ 62 年である。この時期に、この書は執筆されたと思われる。(5)使徒の働きの最後の聖句(2 節)は、紀元60 ~ 62 年ごろの状況説明である。つまり、使徒の働きは完結した訳ではなく、執筆の時点までの教会の歴史をまとめたものだと言える。
ルカは、新約聖書の約25 パーセントを執筆した。彼の貢献によって、私たちは、教会の最初の約30 年間の歴史資料を手に入れることが出来るようになった。キリスト教は歴史的事実に基づいた信仰である。私たち自身もまた、使徒の働きの続きを書いていることを覚えようではないか。
きょうの祈り
全知全能の神よ、ルカが記した歴史的事実を知ることを通じて、私たちの信仰と理解が深まりますように。使徒の働きの学びが私たちの歩みを照らす光となりますように。イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
列王記第二3~4、使徒の働き23
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