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サムエル記第一31:8~13

8 翌日、ペリシテ人がその殺した者たちからはぎ取ろうとしてやって来たとき、サウルとその三人の息子がギルボア山で倒れているのを見つけた。

9 彼らはサウルの首を切り、その武具をはぎ取った。そして、ペリシテ人の地にあまねく人を送って、彼らの偶像の宮と民とに告げ知らせた。

10 彼らはサウルの武具をアシュタロテの宮に奉納し、彼の死体をベテ・シャンの城壁にさらした。

11 ヤベシュ・ギルアデの住民が、ペリシテ人のサウルに対するしうちを聞いたとき、

12 勇士たちはみな、立ち上がり、夜通し歩いて行って、サウルの死体と、その息子たちの死体とをベテ・シャンの城壁から取りはずし、これをヤベシュに運んで、そこで焼いた。

13 それから、その骨を取って、ヤベシュにある柳の木の下に葬り、七日間、断食した。

ヤベシュ・ギルアデの住民による埋葬

ベテ・シャンの城壁

翌日、ペリシテ人は死体から武具をはぎ取ろうとして戦場に出かけて行き、そこでサウルと3人の息子たちの死体を発見します。(1)彼らはサウルの首を切り、武具をはぎ取ります。(2)サウルの死は、彼らにとっては「吉報」です。その報告を、ペリシテの偶像と民とにもたらします。ペリシテ人の勝利は、ペリシテ人の神々の勝利でもあるからです。(3)サウルの首は、ダゴンの神殿にさらされ(歴代誌1010参照)、武具はアシュタロテ神殿に納められました。(4)首から下の遺体は、ベテ・シャンの城壁に打ち付けられました。この町は、ヨルダン川から5キロメートルほど西に入ったところにあります。

死体の奪還

実は、サウルの3人の息子たちの死体も、ベテ・シャンの城壁に打ち付けられていました。(1)それらの死体を救出したのが、ヤベシュ・ギルアデの住民たちです。(2)ヤベシュ・ギルアデという町は、32年前に、サウルによって窮境きゅうきょうから救い出されたことがありました(サムエル記11章参照)。その町の住民たちはそれを覚えていたのです。(3)彼らは片道25キロメートルほどの道を夜通し歩き、サウルと息子たちの死体を奪還だっかんし、それをヨルダン川の東にまで運んで来ました。(4)その後彼らは、それらの死体を火葬に付しています。火葬というのは、イスラエル人の習慣にはありませんが、これ以上死体がなぶりものにされる危険性を排除しようとしたのでしょう。(5)彼らは遺骨をその地に葬り、7日間断食して、サウルとその息子たちに敬意と哀悼あいとうの意を表わしました。
サウルと息子たちのたましいが、死後どうなったかは記されていません。それを詮索せんさくするのは、私たちの役割ではありません。私たちにとって重要なことは、自分のたましいが死後どのようになるかについて、十分に考えることです。主イエスは、「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい」(マタイ1028)とお語りになりました。主イエスを信じて、父なる神と和解した人は幸いです。あなたは、神との平和を持っていますか。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。私は今、あなたとの平和を持っています。救い主イエスの犠牲の死を感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

列王記第二1~2、使徒の働き22