1 さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。
2 そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた。
3 彼女たちは、「墓の入口からあの石をころがしてくれる人が、だれかいるでしょうか」とみなで話し合っていた。
4 ところが、目を上げて見ると、あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった。
5 それで、墓の中に入ったところ、真っ白な長い衣をまとった青年が右側にすわっているのが見えた。彼女たちは驚いた。
6 青年は言った。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません。ご覧なさい。ここがあの方の納められた所です。
7 ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます』とそう言いなさい。」
8 女たちは、墓を出て、そこから逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していたからである。そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである。
四福音書に書かれたイエスの復活の記事は、細部において矛盾しているかのように見えます。それをどう考えたらいいのでしょうか。(1)矛盾があれば、それは事実ではないとの結論を出すのが哲学者の目です。(2)しかし、歴史家の目は異なった結論を出します。もし細部に至るまで全く同じであるなら、それは口裏を合わせた可能性が大です。同じ出来事を見ても、人によって異なった報告の仕方をするというのが普通です。細部は異なっていても、中心部が同じなら、それは真実な報告であるということになります。
そういう目で四福音書を読み比べてみると、おおよそ次のような事実が浮かび上がってきます。(1)まず、マグダラのマリヤが墓にやって来ます(ヨハネ20:1)。彼女は、墓が空になっているのを見、ペテロとヨハネにそれを報告しています(ヨハネ20:2)。(2)次に、二人の女たちがやって来ます。彼らは、天使の姿を見ています。その天使は、二つのメッセージを伝えます。イエスが復活したことと、復活のイエスが弟子たちとガリラヤでお会いになるということ。彼女たちは、ペテロとヨハネ以外の弟子たちのところに行って報告しています。その話を聞いた使徒たちは、すぐには信じなかったとあります(ルカ24:9~11)。(3)マリヤの報告を聞いたペテロとヨハネは、墓に走ります(ヨハネ20:3~4)。墓の中を確かめた二人は、異なった結論をもってそこを去りました。(4)マリヤは、再び墓に戻り、イエスに出会いますが、その御体に触れることは許されませんでした。イエスがまだ天の至聖所の清めを終えておられなかったからです。(5)他の婦人たちも、再び墓に帰って来ます。この時、彼らもまたイエスに出会います。ここで彼女たちは御足を抱いてイエスを拝んでいます。マリヤに許されなかったことが他の婦人たちには許されています。イエスが、すでに天の至聖所の清めを終えられたからです。
イエスの復活が作り話であるなら、弟子たちは婦人を第一発見者にはしていなかったでしょう。イエスは復活されました。そして、今も生きておられます。ここに、私たちの希望があります。
きょうの祈り
全知全能の神よ。主イエスの復活は、歴史的事実です。聖書は、その事実を生々しく伝えています。信じます。感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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出エジブト記11~12、ヨハネの福音書7
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