14 ロトがアブラムと別れて後、【主】はアブラムに仰せられた。「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい。
15 わたしは、あなたが見渡しているこの地全部を、永久にあなたとあなたの子孫とに与えよう。
16 わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる。もし人が地のちりを数えることができれば、あなたの子孫をも数えることができよう。
17 立って、その地を縦と横に歩き回りなさい。わたしがあなたに、その地を与えるのだから。」
「ロトがアブラムと別れて後、【主】はアブラムに仰せられた。『さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい』」(14 節)。(1)ロトが最良の地を選んで別れて行った後、【主】はアブラムに直接語りかけた。これは、【主】からの3 度目の語りかけである(アブラハム契約については2 度目)。(2)「さあ、目を上げて、あなたがいる所から北と南、東と西を見渡しなさい」。「さあ」は、ヘブル語では「ナー」で、旧約聖書に406 回、創世記だけでも74 回出てくる。この言葉は、嘆願、勧、丁寧な言い回し、などのために使用するものである(創12:11、13、13:8、9 など参照)。(3)神から人への語りかけに限定すると、この言葉は4 回しか使用されていない。その最初の例が、創世記13:14 である。それ以外の3 つの例は、創世記15:5(息子の誕生に関する約束)、22:2(イサクを犠牲にするようにとの命令)、出エジプト記11:2(エジプト人から贈り物を集めよとの命令)である。以上の4 つの例のすべてが、神が人間に対して人知を超えたことをするように命じるという内容である。私たちの場合はどうか。私たちは、人知を超えた神の愛をそのまま信じ、それに基づいて行動を起こしているだろうか。
(1)ロトは自ら進んで肉の目を上げたが、アブラムは神の命令によって霊の目を上げた。ここに両者の相違点がある。(2)アブラムは、4 つの方向を見るように命じられた。それは、ロトが選んだ地も含む「カナンの地全体」を見よということであった。この地を、神はアブラムとその子孫に約束された。(3)さらにアブラムに、子孫の約束が与えられた。「わたしは、あなたの子孫を地のちりのようにならせる」(16 節)。(4)アブラムは、その地を縦と横に歩き回った。これは、預言的行為である。しかし、土地の約束は、アブラムが生きている間には成就しなかった。それは、メシア的王国(千年王国)において成就することになる。
アブラムは、神の約束が将来必ず実現することを信じて歩き回ることで、その土地に対する所有権を主張した。ここには、私たちへの教訓がある。神の約束は、すべてイエス・キリストにあって「アーメン」となった。神の約束は、神の時に必ず成就する。私たちクリスチャンは、預言的未来に生きることができるのである。その幸いを、神に感謝しようではないか。
きょうの祈り
アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。私もまた、理性的な判断を超えて、あなたの約束をそのまま信じることができますように、私を助けてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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