7 こういうわけですから、キリストが神の栄光のために、私たちを受け入れてくださったように、あなたがたも互いに受け入れなさい。
8 私は言います。キリストは、神の真理を現すために、割礼のある者のしもべとなられました。それは父祖たちに与えられた約束を保証するためであり、
9 また異邦人も、あわれみのゆえに、神をあがめるようになるためです。こう書かれているとおりです。「それゆえ、私は異邦人の中で、あなたをほめたたえ、あなたの御名をほめ歌おう。」
10 また、こうも言われています。「異邦人よ。主の民とともに喜べ。」
11 さらにまた、「すべての異邦人よ。主をほめよ。もろもろの国民よ。主をたたえよ。」
12 さらにまた、イザヤがこう言っています。「エッサイの根が起こる。異邦人を治めるために立ち上がる方である。異邦人はこの方に望みをかける。」
この箇所の2回目の学びです。ここでは、一致は神の栄光につながるということを学んでいます。ユダヤ人信者には、新参者である異邦人信者に対する抵抗感があったと思われます。それを矯正するために、パウロは旧約聖書から4つの聖句を引用しています。その目的は、異邦人を救う計画が最初からあったことを示すためです。
「それゆえ、私は異邦人の中で、あなたをほめたたえ、あなたの御名をほめ歌おう」(9節b)。これは、詩篇18:49と2サムエル22:50からの引用です。というよりも、むしろ、2サムエル22:50でダビデが歌ったのと同じ内容が、詩篇18:49にも出てくるということでしょう。その内容は、以下のようなものです。(1)神はご自分の民イスラエルをお守りになります。敵に対する勝利が、神の守りの証拠です。(2)敵に勝利したダビデは、国々(異邦人)の中で、神の御名をたたえます。(3)異邦人はそれを聞き、イスラエルの神が力ある方であることを知るようになります。以上の3点が、旧約聖書における異邦人伝道の典型的な型です。パウロはこの聖句を引用することによって、異邦人も救いに招かれていたことを証明しようとしています。
「異邦人よ。主の民とともに喜べ」(10節)。これは、申命記32:43からの引用です。その内容は、以下のようなものです。(1)申命記32章には、モーセの歌が記されています。この歌は、モーセの生涯の集大成のようなものです。(2)その歌の最後で、モーセは異邦人(諸国の民)を招いています。「諸国の民よ。御民のために喜び歌え。主が、ご自分のしもべの血のかたきを討ち、ご自分の仇に復讐をなし、ご自分の民の地の贖いをされるから」(申32:43)。(3)よく見ると、パウロが43節の前半しか引用していないことが分かります。前半は異邦人への招きの言葉ですが、後半は、神に敵対する者への裁きの言葉になっています。(4)異邦人には2つの選択肢が与えられています。招きに応答して神との和解のテーブルに着くか、神に敵対して裁きを受けるか、の二者択一です。あなたはどちらを選びますか。
異邦人である私たちが救いに招かれることは、旧約聖書の時代から計画されていたことです。神には、「想定外」ということはありません。きょうも、すべてをご存じである父なる神に信頼を置き、この世に出て行こうではありませんか。
きょうの祈り
全知全能の神よ。あなたには予定外、想定外は、ありません。あなたがともにいてくださることは、私にとって大いなる喜びであり、励ましです。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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