5 どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように。
6 それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。
前回(4節)は、聖書は希望を与えてくれるということを学びました。今回は、希望は一致を生むということを学びましょう。
「どうか、忍耐と励ましの神が、あなたがたを、キリスト・イエスにふさわしく、互いに同じ思いを持つようにしてくださいますように」(5節)。(1)私たちの神は、「忍耐と励ましの神」です。聖書は私たちに「忍耐と励まし」を与えてくれるのですが、その聖書の著者は神ご自身ですから、そのお方を「忍耐と励ましの神」と呼ぶのは当然のことです。(2)その神が、私たちに希望を与えてくださいます。共通の希望を持っていることが、信者が一致するための土台となります。(3)「互いに同じ思いを持つ」とは、すべての点において意見が一致する、ということではありません。すでに見たように、強い人と弱い人の間には、意見の相違があります。人工的に一致を作り出そうとするなら、そこには束縛と緊張感だけが残ります。ここで言われている一致とは、調和であり、キリストの臨在の共有です。(4)「キリスト・イエスにふさわしく」とは、「キリスト・イエスに倣って」(新共同訳)ということです。つまり、キリストと同じ価値観を持ち、キリストのように考え、行動することです。意見が異なっても、同じ思いになることは可能です。
「それは、あなたがたが、心を一つにし、声を合わせて、私たちの主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです」(6節)。(1)一致する目的は、主イエス・キリストの父なる神をほめたたえるためです。神を賛美することは、クリスチャン生活のゴールであり、教会が存在している目的でもあります。(2)雑多なことに心が奪われていると、本質的なことが見えなくなります。この文脈で言えば、信者が2義的なことで対立しているなら、最も大切なことを忘れてしまう、ということです。最も大切なこととは、主イエス・キリストの父なる神をほめたたえることです。
この節について黙想してみましょう。私たちの礼拝は、壮大なシンフォニーのようです。大小さまざまな楽器が、指揮者の指揮に合わせて、ひとつの曲を演奏しています。そこには、完ぺきな調和があります。私たちが捧げる礼拝と賛美は、本来、そのようなものです。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。主イエスにあって信者同志が一致し、思いをひとつにしてあなたの御名をたたえることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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