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ローマ人への手紙14:9 〜 12

9 キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。

10 それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか。私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです。

11 次のように書かれているからです。「主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる。」

12 こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります。

神学的土台(3)

すべての舌は、神をほめたたえる

神学者でもあり牧会者でもあるパウロは、「グレーゾーン」(日常的な事項)に関する議論を神学的高嶺にまで引き上げています。前回は、「私たちはみな、神のさばきの座に立つようになるのです」10節b)という聖句から、「終末的裁き」の座に立つという認識が信仰生活の土台となる、ということを学びました。きょうの箇所でパウロは、旧約聖書からの引用をもって自らの議論を補強しています。
「次のように書かれているからです。『主は言われる。わたしは生きている。すべてのひざは、わたしの前にひざまずき、すべての舌は、神をほめたたえる』。こういうわけですから、私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります」1112節)。(1)これは、イザヤ49184523からの引用です。ここでパウロがイザヤ書を引用している理由は、ユダヤ人信者の側により多くの問題があったからだと思われます。ユダヤ人信者は、旧約聖書の権威を認めていました。(2)パウロは、ピリピ2:1011でも同じことを書いています。「それは、イエスの御名によって、天にあるもの、地にあるもの、地の下にあるもののすべてが、ひざをかがめ、すべての口が、『イエス・キリストは主である』と告白して、父なる神がほめたたえられるためです」。(3)互いに寛容かんようになるための動機は、終末論にあります。パウロは、「私たちは、おのおの自分のことを神の御前に申し開きすることになります」と教えています。この認識を持つ人は、自らが裁き主の座に座るようなことはしなくなります。

まとめ

(1)キリストの死と復活は、信者の行為を規定する神学的土台です。「キリストは、死んだ人にとっても、生きている人にとっても、その主となるために、死んで、また生きられたのです。それなのに、なぜ、あなたは自分の兄弟をさばくのですか。また、自分の兄弟を侮るのですか」(9〜10節a)。キリストは、私たちが裁こうとしている兄弟姉妹のためにも死んでくださったのです。他の兄弟姉妹たちを裁く人は、キリストのしもべを裁いているのです。(2)終末的裁き(キリストのさばきの座)もまた、信者の行為を規定する神学的土台です。キリストだけが唯一の裁き主です。それゆえ、他の兄弟姉妹たちを裁くべきではありません。寛容な態度を示すということは、神学的思索の当然の帰結です。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。すべての口が「イエス・キリストは主である」と告白するとは、なんと素晴らしいことでしょうか。同じゴールに向かっている兄弟姉妹たちを愛することができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ヨシュア記23~24、ルカの福音書10

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