11 あなたがたは、今がどのような時か知っているのですから、このように行いなさい。あなたがたが眠りからさめるべき時刻がもう来ています。というのは、私たちが信じたころよりも、今は救いが私たちにもっと近づいているからです。
12 夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。
13 遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか。
14 主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません。
愛の律法(8〜10節)について説いたパウロは、今こそ決断の時であると迫ります。この箇所の2回目の学びです。「夜はふけて、昼が近づきました。ですから、私たちは、やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか。遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活ではなく、昼間らしい、正しい生き方をしようではありませんか」(12〜13節)。ここでは、闇と光の対比が語られています。主イエスもまた、闇と光の対比について教えておられます。さらに、ヨハネもその福音書の中で、同じモチーフを展開しています。クムラン文書(死海写本)でも、同様の表現が頻繁に登場します。
では、「夜」とはなんでしょうか。(1)これは、① キリストが地上を去っておられる状態、そして、② サタンがこの世を支配している状態を指します。2コリント4:4には、サタンの支配に関してこういう教えがあります。「その場合、この世の神が不信者の思いをくらませて、神のかたちであるキリストの栄光にかかわる福音の光を輝かせないようにしているのです」。(2)「遊興、酩酊、淫乱、好色、争い、ねたみの生活」という6つの悪徳が列挙されていますが、これらは「夜」の生活の特徴です。特に、ローマ帝国末期の特徴だといえます。(3)「やみのわざを打ち捨てて、光の武具を着けようではありませんか」(12節)とありますが、新共同訳では、「だから、闇の行いを脱ぎ捨てて光の武具を身に着けましょう」と訳されています。この訳には、「闇の行いを、ナイトガウンを脱ぐように脱ぎ捨てる(ギリシア語でアポティセイミ)」という意味があります。「光の武具」とは、キリストの性質のことです。
では、「昼」とはなんでしょうか。(1)これは、キリストの現れ(再臨)を指します。主イエスはヨハネ14:2〜3で再臨の約束をしておられます。「わたしの父の家には、住まいがたくさんあります。…わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです」。(2)「主イエス・キリストを着なさい。肉の欲のために心を用いてはいけません」(14節)。「キリストを着る」とは、キリストの性質を身に付けることです(ガラ3:27参照)。「肉」とは古い性質のことです。愛の実践は、「昼」の生活の特徴であることを覚えましょう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。サタンの支配は終わりに近づき、キリストの再臨の時が目前に迫っています。どうか私が、光の子として歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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