9 愛には偽りがあってはなりません。悪を憎み、善に親しみなさい。
10 兄弟愛をもって心から互いに愛し合い、尊敬をもって互いに人を自分よりまさっていると思いなさい。
11 勤勉で怠らず、霊に燃え、主に仕えなさい。
12 望みを抱いて喜び、患難に耐え、絶えず祈りに励みなさい。
13 聖徒の入用に協力し、旅人をもてなしなさい。
これまでに学んだ12章の内容は、① 献身の勧め(1〜2節)と② 謙遜の勧め(3〜8節)でした。今私たちは、③ 愛の勧め(9〜13節)について学んでいます。「愛の勧め」の中には、13の勧告が記されています。きょうは、勧告の⑨〜⑪ を取り上げます。
(1)クリスチャン生活の特徴は、希望です。ここでの「希望(エルピス)」とは、単なる願いではありません。希望を抱いて生きている人は多いですが、その希望が必ずしも実現するわけではありません。むしろ、実現しないことのほうが多いのです。(2)クリスチャンが抱く希望とは、確信に満ちた信頼のことです。それは、終末的未来に手を伸ばすことです。つまり、未来に確実に起こることを今確信しているという状態です。(3)ペテロはこう書いています。「私たちの主イエス・キリストの父なる神がほめたたえられますように。神は、ご自分の大きなあわれみのゆえに、イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました」(1ペテ1:3)
希望があるから忍耐が生まれます。(1)希望と忍耐の関係について、パウロはこう語っていました。「そればかりではなく、患難さえも喜んでいます。それは、患難が忍耐を生み出し、忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出すと知っているからです」(ロマ5:3 〜 4)。(2)人生は、患難に満ちています。何か悲劇が起こった時、想定外のことだと言うべきではありません。いかなる悲劇に襲われても、終末的希望があれば、悲しみながらも患難に耐えることができます。
祈りは、患難に耐えるための力となります。多くのクリスチャンが、祈ることに困難を覚えています。祈りが難しい理由は、サタンが私たちを神から切り離そうとしているからです。祈らなくなれば、霊的いのちが枯渇します。 祈りは義務ではなく、喜びであり、霊的いのちを受け取るための管です。自らの祈りの生活を吟味してみましょう。
きょうの祈り
天の父なる神さま。サタンの策略を見抜き、祈りという管から霊的いのちを受け取ることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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