1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
前回は、2節の前半、否定形の命令(外的要素)について学びました。内容は、「この時代」の「型」にはめられないように注意しなさいというものでした。今回はその続き、肯定形の命令を取り上げます。
まず、3つの訳文を比較してみます。「いや、むしろ、…心の一新によって自分を変えなさい」(新改訳)。「むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、」(新共同訳)。「むしろ、心を新たにすることによって、造りかえられ、」(口語訳)。(1)「変える」という動詞は、ギリシア語で「メタモルフォウ」で、ここでは受動態です。ところが、新改訳だけがこれを能動態に訳しています。(2)個人的には、この訳には問題があると感じます。もし自力で自分を変えようとするなら(それが能動態です)、その人は、ロマ書7章クリスチャンに回帰する危険性があります。聖化は、恵みによって進展します。能動態に訳すなら、それとは正反対の意味を伝えることになります。
ここで、受動命令形の意味について熟慮する必要があります。(1)受動命令形では、動作の主体は自分ではなく、自分以外のもの(人)です。自分が主体ではないので、受動態なのです。(2)その主体によって自分は影響を受けるが、それに対してどういう態度を取るかは、自分の選びにかかっています。それが否定命令形の場合は、その影響を拒否するということです。それが、「この時代」に対する信者の態度です。それが肯定命令形の場合は、その影響を受け入れるということです。それが、「神」に対する信者の態度です。
「メタモルフォウ」という動詞は、マタイ17:2で使われています。「そして彼らの目の前で、御姿が変わり、御顔は太陽のように輝き、御衣は光のように白くなった」。「御姿が変わる」というのがそれです。さらに、2コリント3:18でも使われています。「私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです」。「姿を変えられて」というのがそれです。
神は私たちの姿を変貌させてくださいます。それが、受動命令形の意味です。私たちは恵みにより、聖霊の働きによって日々新しくされています。ハレルヤ!人間の側の責務については、次回学びます。
きょうの祈り
天の父なる神さま。あなたが下さる恵みをすべて受け取ります。私を御手の中にある粘土として、練り清めてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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