1 そういうわけですから、兄弟たち。私は、神のあわれみのゆえに、あなたがたにお願いします。あなたがたのからだを、神に受け入れられる、聖い、生きた供え物としてささげなさい。それこそ、あなたがたの霊的な礼拝です。
2 この世と調子を合わせてはいけません。いや、むしろ、神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。
前回まででロマ書12:1の学びが終わりました。学んだ内容は、以下の3点でした。① 神の恵みの理解(1〜11章)が献身の土台になっている。② 信者は、自発的ささげ物をささげるように召されている(旧約時代のささげ物は、死んだ動物の犠牲でしたが、新約時代のささげ物は、生きた聖なるささげ物です)。③ 自発的ささげ物は、当然の(理性的帰結としての)応答です。
もうひとつ注目すべき点があります。ロマ書12:1は、一度限りの決断です(動詞の時制がアオリスト)。それに対して、ロマ書12:2は、継続した行動です。12:1〜2に記された勧告は、それ以降の行動を導く基本原則となっています。
2節の訳文を比較してみましょう。「この世と調子を合わせてはいけません」(新改訳)。「あなたがたはこの世に倣ってはなりません」(新共同訳)。「あなたがたは、この世と妥協してはならない」(口語訳)。(1)「この世」とはなんでしょうか。これはギリシア語で「コスモス」(ヨハ3:16)ではなく、「アイオウン」です。永遠という意味もありますが、中心的な意味は「時代」です。問題になっているのは「この時代」です。(2)3つの訳はすべて、能動態に訳していますが、ギリシア語は「サスケイマチゾウ」という動詞の受動態(あるいは、中間態。その行動が自分に戻ってくる)です。つまり、この文の意味は、「この時代」が何かの行動を起こし、私たちがその影響を受けるということです。(3)この否定命令形の要点は、「この時代」の要求に同意しないということです。意訳すると、「この時代は、あなたがたを一定の『型』にはめようとするが、それに同意してはならない」となります。(4)時代は私たちを攻撃してきますが、それに対してパウロは、攻撃的守備を提唱しています。そうすれば、「型」にはめられることはないというのです。
「この世」には世界観があることを覚えましょう。それは、聖書的世界観とは対立するものです。なぜなら、背後にサタンの支配があるからです。私たちもまた、かつては、その影響下にありました。「そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました」(エペ2:2)。この世の「型」にはめ込まれることのないように、目を覚ましていようではありませんか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。無意識のうちに、「この世」の価値観の影響を受けていました。時代の流れに流されることなく歩むことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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