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ローマ人への手紙1:18 〜 20

18 というのは、不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して、神の怒りが天から啓示されているからです。

19 それゆえ、神について知られることは、彼らに明らかです。それは神が明らかにされたのです。

20 神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。

知識の啓示(2)

一般啓示

前回は、神の怒りが「不義をもって真理をはばんでいる人々のあらゆる不敬虔と不正に対して」啓示されていることを学びました。それらの人々は、啓示されている真理を押さえつけ、神に反抗して生きている人々です。彼らに弁解の余地はないのです。
「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです」(20節)とあります。(1)被造物によって知られる啓示だけでは、福音の内容は分かりません。つまり、その啓示によって人が救われることはないということです。しかし、その啓示は人を罪に定めるに十分なものです。(2)啓示には、一般啓示と特別啓示とがあります。一般啓示とは、自然界や良心を通した啓示のことです。特別啓示とは、聖書に記された啓示のことです。
被造の世界を通した一般啓示には、少なくとも2つの要素があります(1)それは、神が存在する(目に見えるものは目に見えないものによって創造された)ことを示しています。「天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。しかし、その呼び声は全地に響き渡り、そのことばは、地の果てまで届いた。神はそこに、太陽のために、幕屋まくやもうけられた」(詩19:1 〜 4)とあるとおりです。(2)それは、神は力あるお方であることを示しています。

弁解の余地はない

「彼らに弁解の余地はないのです」とは、きつい言葉です。なぜ弁解の余地はないのでしょうか。(1)人間には神に関する知識が与えられています。(2)人間はそれを押さえつけて、宗教的に、道徳的に、自分勝手に生きています。(3)これは、意図的に真理を押さえつける生き方です。だから、弁解の余地はないのです。
人はイエス・キリストの福音を信じなかったから裁かれるのではありません。人は、自分に与えられている光の量(啓示の量)によって裁かれます。つまり、一般啓示によって裁かれるということです。その時、すべての人が「弁解の余地はなく」、有罪宣言を受けます。それゆえ、イエス・キリストの福音が必要なのです。有罪宣言を受ける人たちの悲惨な運命を想像することは、伝道の原動力となります。神の愛をもって、隣人たちに福音を伝えようではありませんか。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。私たちには弁解の余地がありません。このことを認識し、福音を受け入れる人たちを多く起こしてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

ヨブ記4〜6、詩篇103 ~ 104