18 こうして主は、シナイ山でモーセと語り終えられたとき、あかしの板二枚、すなわち、神の指で書かれた石の板をモーセに授けられた。
モーセはシナイ山の上で40 日間にわたって【主】からの啓示を受けた。それが終わると、彼は石の板2 枚を持って山を降りる。「こうして主は、シナイ山でモーセと語り終えられたとき、あかしの板二枚、すなわち、神の指で書かれた石の板をモーセに授けられた」とある。(1)「あかしの板」という名称は、シナイ契約の条項が書かれているという意味から来た言葉である。この契約条項は、神の指で書かれたものであった。つまり、神ご自身が書かれたという意味である。(2)契約書に関しては、通常は、契約の当事者が同じものを1 通ずつ保管する。この石の板は、両面に書かれたものであった。そこから、この2 枚の板には全く同じことが書かれていたと推察される。つまり、契約の当事者双方がそれぞれ1枚ずつ保管するというイメージである。
これからモーセは山を降りるのであるが、麓では異変が起きていた。それが、32 章以降に出て来る金の子牛事件である。
パウロは、2 コリント3:6 〜 9 で、この石の板に言及している。重要な聖句なので、見てみよう。「神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格を下さいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです。もし石に刻まれた文字による、死の務めにも栄光があって、モーセの顔の、やがて消え去る栄光のゆえにさえ、イスラエルの人々がモーセの顔を見つめることができなかったほどだとすれば、 まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。 罪に定める務めに栄光があるのなら、義とする務めには、なおさら、栄光があふれるのです」。(1)ここでパウロは、古い契約と新しい契約を比較している。文字に仕える者と御霊に仕える者とを比較している。そして、「文字は殺し、御霊は生かす」と述べている。これは、クリスチャン生活を規定する重要な教えである。(2)さらに、死の務め(シナイ契約)にも栄光があるが、義とする務め(新約)にはなおさら栄光が溢れると書いている。(3)今は恵みの時代である。今は、私たちの心にキリストの律法が書き記されている時代である。恵みによって生きることを学ぼうではないか。「神は言われます。『わたしは、恵みの時にあなたに答え、救いの日にあなたを助けた。』確かに、今は恵みの時、今は救いの日です」(2 コリ6:2)
きょうの祈り
天の父なる神さま。恵みの時代に生かされていることを感謝します。どうか私を、栄光ある使命のためにお用いください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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エレミヤ書28~29、コリント人への手紙 第二2
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