15 神である【主】は人を取り、エデンの園に置き、そこを耕させ、またそこを守らせた。
16 神である【主】は人に命じて仰せられた。「あなたは、園のどの木からでも思いのまま食べてよい。
17 しかし、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。それを取って食べるとき、あなたは必ず死ぬ。」
エデン契約とは、神がアダムと結ばれた契約である。アダムは人類の代表としてこの契約の当事者になっている。従って、アダムの行動は全人類に影響を及ぼす。エデン契約には7つの条項があるが、そのうちの4つはすでに創世記1:28〜30に出ていた。① 地に広がれという命令。② 地を管理せよという命令。③ 生物界を管理せよという命令。④ 食物が与えられるという約束。
きょうの箇所は、エデン契約の後半に当たるもので、3つの条項が出てくる。
⑤ エデンの園を耕し、守ること。「置き」(15節)という動詞は、ノアという名前と同じ語源の言葉で、留まる、休むといった意味がある。カナンの地がイスラエルの民にとって安息の地であった(詩95:11)ように、エデンの園はアダムにとって安息の地となったのである。「耕させ(アボダー)」(15節)という言葉には、仕事、奉仕、礼拝などの意味がある。本来労働とは、神への奉仕であり礼拝である。それは苦しいものではなく、喜びをもたらすものである。
⑥ 園のどの木からでも思いのまま食べてよいが、善悪の知識の木からは取って食べてはならない。当時人は、創造されたままの聖なる状態にあったが、まだそれが定着していたわけではなかった。人には自由意志が与えられていたが、善悪の知識の木は、人がその自由意志をどう用いるかを試す木となった。この木から取って食べてはならないという命令は時限立法であり、人がそのテストに合格したなら、取り去られるものであった。なぜなら、合格した時から、人は罪を犯すことができない状態、つまり、聖なる性質が確定した状態になるからである。
⑦ 善悪の知識の木から取って食べるその時、人は必ず死ぬ。これは、霊的死のこと、神との断絶のことである。霊的死は瞬時に訪れるが、肉体的死は徐々にやってくる。
アダムの堕落以来、全人類は2つの死を経験する存在となった。霊的死と肉体的死である。この死の問題を解決してくださるのは、最後のアダム(1コリ15:45)として来られたイエス・キリストだけである。イエス・キリストを信じた瞬間、私たちは霊的に復活した。そして、終わりの時代に、肉体の復活を経験するようになる。霊的死から解放されたということは、父なる神との交流が可能になったということである。なんという特権であろうか。その特権を、日々楽しもうではないか。
きょうの祈り
天の父なる神さま。日々あなたと語り合うことができるという特権を感謝します。その特権をフルに活かすことができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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ダニエル書3~4、ペテロの手紙 第一4
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