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出エジプト記20:3 〜 6

3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。

4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。

5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、【主】であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父のとがを子にむくい、三代、四代にまで及ぼし、

6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

第1 戒と第2 戒

第1 戒(3 節)

第1 戒〜第4 戒は神と人との関係を、第5 戒〜第10 戒は人と人との関係を規定する。「あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない」。(1)これは、正しい神学(神概念)を持てという命令である。もちろん、すべての神学が正しいわけではないが、神学なしに正しい信仰を持つことはできない。(2)神は唯一であることを認めることが、信仰の第一歩である。申命記4:35 にはこうある。「あなたにこのことが示されたのは、【主】だけが神であって、ほかには神はないことを、あなたが知るためであった」。(3)さらに、イザヤ43:10〜 11 にはこうある。「あなたがたはわたしの証人、─【主】の御告げ─わたしが選んだわたしのしもべである。・・・わたしより先に造られた神はなく、わたしより後にもない。わたし、このわたしが、【主】であって、わたしのほかに救い主はいない」。(4)イスラエルの民の使命は、神が唯一であることを諸国民に示すことにあった。

第2 戒(4 〜6 節)

「あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない」。(1)この命令は、真の礼拝とは何かを教えている。神は被造世界を超越したお方である。それゆえ、その神を目に見えるもので表現することは不可能である。(2)第2 戒は、礼拝のための像を造ることを禁止したもので、それ以外の像は除外される。そうでなければ、モーセが幕屋の中に造ったケルビムの織物や像は、どうなるのか。(3)【主】は、「ねたむ神」である。神は、イスラエルの民を「【主】の妻」と見ておられる。偶像礼拝は霊的姦淫かんいんに当たる(イザ54:5 〜 6 参照)。(4)「父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし」とある。父の犯した罪のゆえに子が罰を受けるという教えは、聖書にはない。ここで言われていることは、先祖の罪の悪影響が子孫に及ぶということである。しかし【主】は、その悪影響を3 代か4代でとどめてくださる。「恵みを千代にまで施す」とあるのは、先祖の良い影響は永く子孫にも及ぶということである。
私たち人間は、神の愛を論じるのは好きだが、神の義や裁きを考えることは好まない。しかし、神の愛と義のバランスを常に保つことが重要である。神は唯一であることと、偶像礼拝は罪であることを認識する人は、幸いである。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。あなただけが神であり、私の救い主です。あなただけを礼拝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

サムエル記第二23~24、箴言22