1 それから神はこれらのことばを、ことごとく告げて仰せられた。
2 「わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、【主】である。
3 あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
4 あなたは、自分のために、偶像を造ってはならない。上の天にあるものでも、下の地にあるものでも、地の下の水の中にあるものでも、どんな形をも造ってはならない。
5 それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。あなたの神、【主】であるわたしは、ねたむ神、わたしを憎む者には、父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、
6 わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。
7 あなたは、あなたの神、【主】の御名を、みだりに唱えてはならない。【主】は、御名をみだりに唱える者を、罰せずにはおかない。
8 安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
9 六日間、働いて、あなたのすべての仕事をしなければならない。
10 しかし七日目は、あなたの神、【主】の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。──あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、あなたの町囲みの中にいる在留異国人も──
11 それは【主】が六日のうちに、天と地と海、またそれらの中にいるすべてのものを造り、七日目に休まれたからである。それゆえ、【主】は安息日を祝福し、これを聖なるものと宣言された。
12 あなたの父と母を敬え。あなたの神、【主】が与えようとしておられる地で、あなたの齢が長くなるためである。
13 殺してはならない。
14 姦淫してはならない。
15 盗んではならない。
16 あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
17 あなたの隣人の家を欲しがってはならない。すなわち隣人の妻、あるいは、その男奴隷、女奴隷、牛、ろば、すべてあなたの隣人のものを、欲しがってはならない。」
「モーセの律法は、人にもっと罪を犯させる力となる」。これが、モーセの律法の第5 の側面である。パウロはこう書いている。「律法は怒りを招くものであり、律法のないところには違反もありません」(ロマ4:15)。(1)人には罪の性質があり、これは否定しようのない事実である。(2)しかし、もし律法がなければ、罪人がどのような行動を起こそうとも、律法違反にはならない。
では、律法は罪なのだろうか。この点について、パウロはこう論じている。「それでは、どういうことになりますか。律法は罪なのでしょうか。絶対にそんなことはありません。ただ、律法によらないでは、私は罪を知ることがなかったでしょう。律法が、『むさぼってはならない』と言わなかったら、私はむさぼりを知らなかったでしょう」(ロマ7:7)。(1)パウロは、律法は悪でも罪でもないと言っている。(2)そうではなくて、律法を聞いたことによって、人の罪の性質が活動を始めるのである。(3)つまり、「むさぼるな」と命令されるので、むさぼりたくなるのである。これが、罪人の性質である。
「しかし、罪はこの戒めによって機会を捕らえ、私のうちにあらゆるむさぼりを引き起こしました。律法がなければ、罪は死んだものです。私はかつて律法なしに生きていましたが、戒めが来たときに、罪が生き、私は死にました。それで私には、いのちに導くはずのこの戒めが、かえって死に導くものであることが、わかりました」(ロマ7:8 〜10)。(1)律法が与えられたので、罪の性質が暴君のように暴れ出した。(2)私たちは、ある悪循環の中に閉じ込められている。①私は罪の性質を持っている→ ②律法が与えられる→ ③本来は良いものであるはずの律法が罪に機会を与える→ ④罪は私の内にあらゆるむさぼりを引き起こす→ ⑤私はさらに多くの罪を犯してしまう。(3)この悪循環から解放されるためには、律法に対して死ななければならない。それが新生体験であり、信仰による義を得る体験である。「しかし、今は、私たちは自分を捕らえていた律法に対して死んだので、それから解放され、その結果、古い文字にはよらず、新しい御霊によって仕えているのです」(ロマ7:6)。クリスチャンは、「古い文字」(律法や形式主義)から解放され、「新しい御霊」(内住の聖霊)によって神に仕える者となった。このことを確認し、きょうも主とともにこの世に出て行こう。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。私は律法に対して死に、聖霊によってあなたに仕える者となりました。どうか私を、あらゆる種類の律法主義から解放してください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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