4 モーセは言った。「【主】はこう仰せられます。『真夜中ごろ、わたしはエジプトの中に出て行く。
5 エジプトの国の初子は、王座に着くパロの初子から、ひき臼のうしろにいる女奴隷の初子、それに家畜の初子に至るまで、みな死ぬ。
6 そしてエジプト全土にわたって、大きな叫びが起こる。このようなことはかつてなく、また二度とないであろう。』
10:29 と11:4 は、文脈上つながっている。モーセはパロの前にいて、【主】から与えられたことばを語る。(1)「真夜中ごろ、わたしはエジプトの中に出て行く」とは、擬人法で、神の行為を表現したものである。神は遍在の神なので、どこにでもおられる。「エジプトの中に出て行く」とは、エジプトに災いをもたらすという意味である。(2)モーセがこの警告をパロに語ったのは、アビブの月(ニサンの月)の14 日の朝か昼間である。その日の夕暮れに、イスラエル人たちは子羊をほふるようになる。そして、その夜それを食べる(ユダヤ暦では15日になっている)。15 日の真夜中ごろ、エジプトに対する裁きが行われる。
第十の災いは、長子の死である。「エジプトの国の初子は、王座に着くパロの初子から、ひき臼のうしろにいる女奴隷の初子、それに家畜の初子に至るまで、みな死ぬ。そしてエジプト全土にわたって、大きな叫びが起こる。このようなことはかつてなく、また二度とないであろう」。(1)民族の存続は長子を通じて維持される。長子の死は、民族の存亡に関わる。(2)エジプト人は、死後の命に強いこだわりを持っていた。彼らの一般的認識は、長子の中に自分の命が生き続けるというものであった。従って、長子の死は、彼らにとって衝撃的な出来事であった。(3)さらに、パロの長子は神の地位を継承する器である。長子が死ぬということは、神の権威が辱められるということである。(4)死ぬのは、すべての初子である。パロの初子から女奴隷の初子、それに家畜の初子に至るまで死ぬ。その結果、エジプト全土に大きな叫びが起こる。エジプトにこのようなことが起こるのは初めてということは、人類の歴史上でも初めてだということである。
第十の災いによって裁かれる偶像は、3 つある。① Hathor【ハトホル】(クロミス─スズメダイの一種─の守り神。誕生に立ち会う女神)。② Isis【イッシス】(農業の女神。誕生と再生の女神でもある)。③ Min【ミン】(誕生と再生の神)。これらの神々は、長子の命を守ることができなかった。
【主】は、10 の災いをもたらすことによって、【主】だけが「命の源」であることを示された。エジプト人もイスラエル人も、【主】のようなお方は他にいないことを体験的に学んだのである。私たちも、【主】だけが神であり、「命の源」であることを告白しようではないか。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。あなただけが神です。あなたは【主】です。私の命はあなたの御手の中にあります。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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