22 それでモーセは【主】のもとに戻り、そして申し上げた。「主よ。なぜあなたはこの民に害をお与えになるのですか。何のために、私を遣わされたのですか。
23 私がパロのところに行って、あなたの御名によって語ってからこのかた、彼はこの民に害を与えています。それなのにあなたは、あなたの民を少しも救い出そうとはなさいません。」
イスラエル人の人夫がしらたちからの抗議は、予想外のものであった。モーセにとっては、危機的な状況が訪れたのである。しかしこの出来事は、今後モーセが味わうことになる苦悩のほんの始まりに過ぎなかった。
(1)出エジプト4:29 ~31 では、彼はイスラエル人の長老たちから熱狂的な歓迎を受けた。「それからモーセとアロンは行って、イスラエル人の長老たちをみな集めた。アロンは、【主】がモーセに告げられたことばをみな告げ、民の目の前でしるしを行ったので、民は信じた。彼らは、・・・ひざまずいて礼拝した」。ここには、モーセに対する感謝と熱狂的な支持がある。(2)しかし、モーセが救出の提案をパロにした結果、最悪とも思えるような事態がイスラエルの民を襲った。パロからのさらなる迫害を経験した民は、モーセを疑い、彼に対して敵意さえ抱くようになった。
そこでモーセは、【主】に対してこう言った。「主よ。なぜあなたはこの民に害をお与えになるのですか。何のために、私を遣わされたのですか」。モーセ自身の信仰が揺らいでいることが分かる。モーセの心に、次々と疑問が湧いて来た。イスラエルの神は善なのか、悪なのか。イスラエルの神は、約束を守るのか、守らないのか。私は何のために派遣されて来たのか。羊飼いのままの方が良かったのではないか。
「私がパロのところに行って、あなたの御名によって語ってからこのかた、彼はこの民に害を与えています。それなのにあなたは、あなたの民を少しも救い出そうとはなさいません」。モーセの言い分はこうである。あなたの御名で語ってから、状態は悪化した。だから責任は、あなたにある。しかし、あなたは動こうとしない。これらのことばから、モーセの信仰が揺らいでいることがよく分かる。
モーセが味わった苦痛は、私たちクリスチャンもよく味わう。なぜだろうか。その理由は、神がどのように働かれるかを、人間の側で決めてしまうからである。イスラエル人の人夫頭やモーセが落ち込んだ理由は、神を自分の思い通りに動かそうとしたことにある。彼らは、この苦難の中で、神がどのように働かれるのかを待ち望むべきであった。私たちもまた、神を自分の思いどおりに動かそうとしていないかどうか、自己吟味をしてみよう。神はご自身の計画に沿って働いておられる。主権者である神を崇めようではないか。
きょうの祈り
アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。私の知るところは一部であり、あなたはすべてをご存じです。どうか自分自身のことを知恵ある者と思うことがありませんように、私を守ってください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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