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出エジプト記3:4

4 【 主】は彼が横切って見に来るのをご覧になった。神は柴の中から彼を呼び、「モーセ、モーセ」とおおせられた。彼は「はい。ここにおります」と答えた。

ご覧になる神

神からの呼びかけ

現代のクリスチャンがかかえる問題の1 つは、神から目が離れ、余りにも自分のことに関心が行き過ぎていることである。「私が祝福を受けるためにはどうすればいいのか」「私が豊かになるためには」「私の問題が解決するためには」などなど、いつも「私」が関心の中心にいる。それではクリスチャン生活の醍醐味だいごみを体験することは出来ない。神がどのようなお方であるかに関心を払うなら、日々の生活は冒険に満ちたものとなる。この箇所から、神を再発見しようではないか。
「【主】は彼が横切って見に来るのをご覧になった」。神は、モーセの人生を最初から最後まで見ておられた。生後3 か月でナイル川に浮かべられたことも、パロの宮廷で育ったことも、また、ミデヤンの野で40 年間過ごしたことも、すべてご存じである。また神は、彼の性格も知っておられた。神の目に隠されているものは、何もない。
「神は柴の中から彼を呼び、『モーセ、モーセ』と仰せられた」。聖書の神は、個人と関わる神である。神はシャカイナグローリーの中から、モーセの名を2 度呼ばれた。名前を2 度呼ぶのは、重要な使命にされたことを示している。アブラハムの例(創22:11)、ヤコブの例(創46:2)、サムエルの例(1 サム3:10)、そしてパウロの例(使9:4)などが参考になる。

モーセの応答

モーセは、「はい。ここにおります」と答えた。これは、アブラハムやヤコブの答えと同じである。神が私たちの名前を知っていて、その名を呼ばれるという例が新約聖書に出て来る。主イエスは、ヨハネ10:3 でこう語っておられる。「門番は彼のために開き、羊はその声を聞き分けます。彼(羊飼い)は自分の羊をその名で呼んで連れ出します」。またイエスは、エリコの町に住んでいたザアカイに対しては、こう呼びかけておられる。「イエスは、ちょうどそこに来られて、上を見上げて彼に言われた。『ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから』」(ルカ19:5)
神が私たちの名前を知っておられるとは、私たちの実質を知っておられるということである。詩篇の記者は、こう歌っている。「【主】よ。あなたは私を探り、私を知っておられます。あなたこそは私のすわるのも、立つのも知っておられ、私の思いを遠くから読み取られます」(詩139:1 ~ 2)。神に知られていることを恐れる人は、罪人である。その事実の中に平安を見出す人は、義人である。

きょうの祈り

天の父なる神さま。私の喜びも、悲しみも、労苦も、失敗も、すべてあなたに知られていることを感謝します。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

出エジプト記13 ~ 14、ヨハネの福音書6