23 それから何年もたって、エジプトの王は死んだ。イスラエル人は労役にうめき、わめいた。彼らの労役の叫びは神に届いた。
24 神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。
25 神はイスラエル人をご覧になった。神はみこころを留められた。
神がイスラエルの民を解放するための行動を起こす前に、2 つの条件が満たされる必要があった。(1)モーセの訓練が完了すること。神は、ミデヤンの地での40 年の生活を通してモーセを訓練しておられたが、その訓練が終了しようとしていた。荒野での生活経験は、イスラエルの民をカナンの地に導くための準備となったが、それだけではない。モーセは砕かれ、神に用いられやすい状態に整えられた。(2)モーセを殺そうとしていたパロが死ぬこと。「それから何年もたって、エジプトの王は死んだ」とある。モーセの義母であるハトシェプストの死後、トゥトモス3 世がエジプトを統治していた。彼がモーセの命を狙っていたパロである。その彼も死んだ。そして、新しくパロになったのがアメンホテプ2 世である。彼が出エジプトの時のパロである。彼もまた、反ユダヤ主義政策を続行した。
新しいパロの治世が始まっても、イスラエルの民の窮状は一向に改善されなかった。民は神に呼び求めた。そして、その叫びは神に届いた。「神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。神はイスラエル人をご覧になった。神はみこころを留められた」。神に関する動詞が4 つ出て来る。「聞かれた」「思い起こされた」「ご覧になった」「みこころを留められた」。いずれも強い調子の動詞である。
ここで神は、2 つの理由で行動を起こしておられる。(1)イスラエルの民の悲惨な姿をご覧になった。聖書の神は、憐み深いお方、私たちの痛みを受け止め、理解してくださるお方である(マタ9:35 ~ 38 参照)。(2)アブラハム、イサク、ヤコブとの契約を思い起こされた。これは「アブラハム契約」と呼ばれるものである。聖書の神は、契約を結ぶ神、約束を守られる神である。これは非常に重要な真理である。今もアブラハム契約は有効である。異邦人クリスチャンは、その契約の祝福(オリーブの木の幹)に接木された野生種の枝(ロマ11 章)である。イエス・キリストを救い主として信じたことは、神との契約関係に入ったことを意味する。そしてその関係は、永遠に取り消されることはない。
試練の時、何に信頼して歩めば良いのか。イエス・キリストの父なる神に信頼を置いて歩む人は、幸いである。日々忠実に歩むなら、その人には必ず神の時が訪れる。神の計画は必ず成就するという前提で、自分の物語を作り上げようではないか。
きょうの祈り
アブラハム、イサク、ヤコブの神よ。あなたの約束は必ず成就します。私のために用意してくださった計画がすべて成就しますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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出エジブト記 9~10、箴言 5
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