34 彼らは湖を渡ってゲネサレの地に着いた。
35 すると、その地の人々は、イエスと気がついて、付近の地域にくまなく知らせ、病人という病人をみな、みもとに連れて来た。
36 そして、せめて彼らに、着物のふさにでもさわらせてやってくださいと、イエスにお願いした。そして、さわった人々はみな、いやされた。
イエスと弟子たちは、湖を渡ってゲネサレの地に着いた。(1)その地の人々は、イエスを喜んで迎え入れた。イエスは、故郷のナザレでは拒否されたが、ゲネサレの地では歓迎された。(2)ゲネサレの地の人々がイエスを歓迎したのは、必ずしも正しい動機からではなかった。彼らは、パンを食べて満足したから集まって来たのである。その詳細は、ヨハネ6:22 ~71 に記されている。イエスはパンと魚の奇跡を行った後、その機会を捉えて「いのちのパン」のメッセージをされた。イエスは、「いのちのパン」という言葉をご自身に適用された。(3)イエスは、彼らの動機が間違っていることは知っておられたが、癒しを求める病人たちをあわれみ、彼らをみな癒された。癒された人たちは、イエスに信頼を置いていた人たちであった。彼らは、着物のふさにでも触れば癒されるという信仰を持っていた。不信仰な群衆の中にあっても、信仰のある者たちは癒されたのである。
「着物のふさ」という言葉は、マタイ9:20 にも出ていた。その箇所では、12年間も長血をわずらっていた女が登場している。彼女は、イエスのうしろに近寄って、イエスの着物のふさに触った。「ふさ」とは、着物の四隅につけられた糸の束のことで、ヘブル語では「ツィツィ(複数形はツィツィオット)」である。今日でも、正統派のユダヤ人たちは、例外なしに「ツィツィオット」を身に着けている。民数記15:38 以降には、「代々にわたり、着物のすその四隅にふさを作り、その隅のふさに青いひもをつけるように言え。あなたがたがそれを見て、主のすべての命令を思い起こし、それを行うため…」とある。つまり、「ふさ(ツィツィオット)」とは、神のことばを象徴的に表すものなのだ。その女は、信仰をもってイエスの着物のふさ(神のことば)に触り、癒された。そして、きょうの聖書箇所でも、着物のふさに触った人々はみな癒された。
ここから教訓を学ぼう。今、信仰をもって神のことばである聖書に近づこう。神のことばに対する信頼こそ、神の力と祝福を受け取る管である。日々、神のことばに信頼を置いて歩もうではないか。「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。・・・信仰によって、私たちは、この世界が神のことばで造られたことを悟り、したがって、見えるものが目に見えるものからできたのではないことを悟るのです」(ヘブ11:1 ~ 3)
きょうの祈り
天の父よ。啓示された神のことばである聖書は、私の信仰の土台であり、いのちの泉の水源です。聖書のことばに従って、歩み続けることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
ヨブ記25〜27、詩篇105 ~ 106
ハーベスト・タイムによる無料の聖書講解動画(音声)サイト。
最新のメッセージ
毎朝6時にきょうの【クレイ】が
あなたのLINEに届きます!
» 登録はこちら