5 イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町に入ってはいけません。
6 イスラエルの家の失われた羊のところに行きなさい。
7 行って、『天の御国が近づいた』と宣べ伝えなさい。
8 病人をいやし、死人を生き返らせ、ツァラアトに冒された者をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。
9 胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。
10 旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。
聖書を読む際に重要なのは、文脈を考慮に入れることである。文脈を無視した聖書解釈は、恣意的な解釈に陥る。さらに、その箇所の適用を考えることも重要である。つまり、書かれた内容が、現代に生きる私たちにそのまま適用されるものかどうかを吟味することである。聖書に書かれていることがすべて、現代に生きる私たちに適用されるわけではない。それが分からないと、私たち自身が「羊飼いのない羊のよう」になってしまう。
(1)ここに出てくる12 弟子に対する指示は、メシアが地上を歩まれていたある特定の期間にだけ適用されるものである。この命令には地域的制約がある。使徒たちは、異邦人の町とサマリヤ人の町に行くことは禁じられた。イスラエルの家の滅びた羊のところにだけ行けというのである。(2)メッセージの内容も、今の私たちが伝えているものとは異なる。それは、メシアの死と復活のメッセージではなく、「天の御国が近づいた」という知らせであった。そのメッセージの正当性は、使徒たちが行う奇跡によって証明された。(3)生活の必要は満たされるから、余分なものを持っていかないようにという命令も、12 使徒たちだけに適用すべき命令である。もしこれが普遍的命令であるなら、生活必需品を用意して宣教地に赴く宣教師たちは、イエスの命令に違反していることになる。(4)これらの状況は、主イエスの十字架の死と復活によって、大きく変わる。その証拠に、マタイ28 章では、復活のイエスが弟子たちに、全世界に出て行って福音を宣べ伝えよとの命令を与えている。
使徒たちへの指示の中に、普遍的要素(現在の私たちに適用すべき命令)はないかどうかを探ってみよう。(1)イエスは通常、ふたり一組で送り出している。これは、実践的で知恵のある方法である。ふたりなら、弱点を補い合い、励まし合うことができる。(2)広い意味では、主は働き人の生活の必要を満たしてくださると言える。信仰者は今も、主が支えてくださることを前提に、伝道に出て行く。
聖書を読む時、そこに書かれていることが、特定の時代に限定される教えか、普遍的な教えかを見分ける必要がある。そのための知恵が主から与えられるように、祈ろうではないか。また、聖書を解き明かす使命を受けている人々が、正しく聖書を解釈できるように、とりなしの祈りをささげよう。誤解に基づいて、現代の口伝律法を作り上げてはならない。
きょうの祈り
イエス・キリストの父なる神さま。どうか私に、聖書を正しく理解し、自分に適用するための知恵を与えてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
ホセア書8~9、コロサイ人への手紙3
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