19 自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい。そこでは虫とさびで、きず物になり、また盗人が穴をあけて盗みます。
20 自分の宝は、天にたくわえなさい。そこでは、虫もさびもつかず、盗人が穴をあけて盗むこともありません。
21 あなたの宝のあるところに、あなたの心もあるからです。
22 からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、
23 もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。それなら、もしあなたのうちの光が暗ければ、その暗さはどんなでしょう。
24 だれも、ふたりの主人に仕えることはできません。一方を憎んで他方を愛したり、一方を重んじて他方を軽んじたりするからです。あなたがたは、神にも仕え、また富にも仕えるということはできません。
生活のためには、お金が必要である。お金がなければ、食物を手に入れることも、衣服を買うことも、家賃を払うことも、教育を受けることもできなくなる。従って、地上の富を軽視する態度は、クリスチャンとしてふさわしくない。しかし、地上の富を重視し過ぎると、その人は富の奴隷になってしまう。富とどう付き合うかは、クリスチャンにとって大問題である。
(1)イエスは、「自分の宝を地上にたくわえるのはやめなさい」と言われた。地上にたくわえた宝は、いつか朽ちていく。また、盗人がやって来て、それを盗んで行くこともある。地上の富は、実に移ろいやすいものである。(2)宝は、失われる心配が全くない天にたくわえるべきである。天にたくわえた宝は、朽ちることも、盗まれることもない。「天に宝をたくわえる」とは、神の国拡大のために、また、神に喜ばれることのために、自分の才能、時間、富などを用いることである。(3)私たちの宝のあるところに、私たちの心もあるというのは、まさにそのとおりである。このことを、私たちは体験的に知っている。多くの資金を投資したところ(もの)に、私たちの心は向かう。
目は、身体に光を取り入れる働きをしている。目が健全なら、全身が光の恩恵を受けて明るい。しかし、目に疾患があるなら、光は身体の中に届かず、暗やみの中を歩まざるを得なくなる。それと同じように、心の目が地上の宝によって曇らされているなら、内なる人は、暗やみにいることになる。心の目が健やかになるためには、どうしたらよいのか。最善の方法は、神第一の生活を始めることである。神の御心を第一優先にするなら、次第に霊の目は開かれ、今まで見えなかった神の恵みや導きが見えるようになる。
クリスチャンは、地上生涯において、ふたりの主人に仕えることはできない。つまり、神と富の両方に仕えることは不可能だということである。二心のある人は、結局は富に支配されるようになる。今、自分の人生を何に投資すべきか考えてみよう。地上に宝をたくわえることにどれほどの価値があるのか、考えてみよう。神に仕えることの喜びを若い日に知った人は、幸いである。しかし、良い決断をするのに、遅過ぎるということはない。今が、「決断の時」である。天の父なる神を主として認め、そのお方に仕える人生を選び取ろうではないか。私たちの神は、私たちの必要をすべて満たしてくださる。
きょうの祈り
天の父なる神さま。きょうもまた、天に宝をたくわえる歩みをすることができますように。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
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エゼキエル書14~15、ガラテヤ人への手紙4
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