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創世記49:14 ~ 15

14 イッサカルはたくましいろばで、彼は二つの鞍袋くらぶくろの間に伏す。

15 彼は、休息がいかにもこのましく、その地が、いかにもうるわしいのを見た。しかし、彼の肩は重荷を負ってたわみ、苦役くえきを強いられる奴隷どれいとなった。

イッサカル族の将来

たくましいろば

イッサカルに関しては、次のような預言がなされる。「イッサカルはたくましいろばで、彼は二つの鞍袋の間に伏す」。(1)「たくましいろば」とは、この部族が農業に専念し、きびしい労働にえることが出来る民であることを表している。つまり、生命力にあふれているのである。その証拠しょうこに、民数記26:25 では6 万4,300人であった彼らは、1 歴代誌7:1 ~5 では8 万7,000 人に増加している。(2)彼らは、「麗しい地」を相続するようになる。その地は、イズレエルの谷と呼ばれる肥沃ひよくな平野である。ここは、約束の地の中で最大の農業地帯である。

苦役を強いられる奴隷

この部族に関する預言の後半は、こうなっている。「彼は、休息がいかにも好ましく、その地が、いかにも麗しいのを見た。しかし、彼の肩は重荷を負ってたわみ、苦役を強いられる奴隷となった」。(1)彼らは力強い部族ではあったが、安楽を求めて怠惰たいだに流れるという欠点を宿していた。その結果、一時的ではあるが、カナン人の奴隷となってしまう。(2)ギデオンがカナン人との戦いのためにガリラヤ地方の連合軍を組織したことがあったが(士6:35 以下)、その時、イッサカル族はその軍に合流しなかった。(3)イッサカル族の歴史には、怠惰のために神から受けた賜物たまものを十分にかし切れなかったという悲劇が宿っている。
私たちは、その悲劇から何を学ぶことが出来るか。私たち一人ひとりに、神からの賜物が与えられている。賜物が与えられている理由は、神の栄光を表わすためである。安楽な生活を得るために賜物を無駄むだにするような生き方は、決してこのましいものではない。私たちクリスチャンには、自分が歩むべき道は神によって用意されているという確信が与えられている。それは、道であるお方を信じた結果生まれてくる確信である。その確信を、投げ捨ててはならない。

きょうの祈り

イエス・キリストの父なる神さま。私のために特別な道を用意してくださり、感謝します。どうかその道を歩ませてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

年間聖書通読

イザヤ書36~37、詩篇53 ~ 54