14 不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。
15 キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。
16 神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
17 それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、
18 わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」
< 7章>
1 愛する者たち。私たちはこのような約束を与えられているのですから、いっさいの霊肉の汚れから自分をきよめ、神を恐れかしこんで聖きを全うしようではありませんか。
前回の箇所でパウロは、コリントの信者たちに心を開くように助言しました。きょうはその続きですが、よく読むと、6:14~7:1までが挿入節になっています。パウロはなぜここで、主要テーマから逸れて挿入節を書いたのでしょうか。(1)パウロには、なぜコリントの信者たちが心を開かないか、その理由がわかっていました。それは彼らが、クリスチャンになってからも異教的な習慣や偶像礼拝との関係を清算できていなかったからです。(2)そこでパウロは、愛の動機で、本当の問題に手を置き、それを指摘しようとしたのです。
パウロは、「不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません」(14節)と命じています。「つり合わぬくびき」とは何でしょうか。(1)不信者との関係を完全に断てということではありません。そのようにすれば、クリスチャンはこの世から出て行かなければならなくなり、伝道もできなくなります。すでにパウロは、相手が不信者であっても、ともに生活することに同意している場合は、結婚生活を維持するようにと命じていました(Iコリント7:12~16)。(2)基本的には、キリスト教と異教とが両立することはあり得ないということです。しかし、パウロが命じているのは、いわば「基本的なガイドライン」であって、実際生活への適用は各自が聖霊に導かれて行なわなければなりません。(3)「つり合わぬくびき」という言葉の背後にあったのは、申命記22:10やレビ記19:19の教えです。牛とロバとを同じくびきにつなぐことは禁止されていました。パウロはそれを、コリント教会の現状に適用し、信者と不信者とが調和をもって生きることは不可能だと教えています。「生ける宮」とは、クリスチャンの共同体である教会のことです(建物ではありません)。
次にパウロは、旧約聖書からの引用を列記し、なぜクリスチャンは清い生活を目指すべきなのかを語っています(レビ記26:12、イザヤ書52:11、43:6など参照)。私たちクリスチャンは、天の御国において神の息子、娘として生活するようになります(黙示録21:3)。その準備は、今からすべきなのです。
きょうの祈り
天の父なる神さま。あなたを父と呼ぶことができる特権を感謝します。天の御国において住むための準備を、今から開始することができますように、私を励まし、力づけてください。主イエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。
年間聖書通読
雅歌3~4、ヤコブの手紙2
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